1997年7月18日
古代インドにおけるヒンドゥーイズムの展開  岡田雅志


§[初めに]
 今回は古代ヒンドゥーイズムの展開ということで、アーリヤ人のインド侵入から古代インド世界の崩壊に至るまでのヒンドゥーイズムの歴史を扱おうと思う。ここで言うヒンドゥーイズムとは広義で捉えたインド亜大陸の風土の中で生まれた宗教思想と言う意味で、具体的にはヒンドゥー教を中心に仏教、ジャイナ教、シク教などがこれに含まれる。そこで、よく言われるバラモン教からヒンドゥー教への転換(もっともインドにおいてはバラモン教とヒンドゥー教を特に区別せず、どちらもヒンドゥー教という)を中心に他の仏教、ジャイナ教などとの関係や、ヒンドゥー教を語るのに欠かせないヒンドゥーの神話体系の変遷なども含めて7、8世紀までのインドの宗教状況を見ていこうというわけである。

§[現在のインド亜大陸の宗教事情とヒンドゥー教とは]
 現在のインド亜大陸の宗教勢力図は非常に複雑である。インドの隣国であるパキスタン、バングラデシュはイスラム国であり、ブータン、スリランカは仏教の勢力が強く、ネパールではヒンドゥー教を国教としている。インド自身についても国民の多くはヒンドゥー教徒ではあるが、イスラム教を初め非常に多様な宗教が信仰されている。

 このように多様な宗教模様を持つインドであるがやはりその中心はヒンドゥー教である。しかし、現在インド国民の多くが信仰している(?)ヒンドゥー教とはどのようなものなのだろうか。この問いに明確な答えを出すことはできないが、その信仰形態といくつかの特徴をあげることはできる。ヒンドゥー教はいわゆる民族宗教で特定の教祖や、教団といった統一組織すらない。多神教ではあるが個人が信仰しているのは基本的にただ一神のみであり、信徒はその崇拝する神によってヴィシュヌ派、シヴァ派などと呼ばれている。(現在ヴィシュヌ派、シヴァ派がヒンドゥー教徒の大半を占めるが、ドゥルガーなどの女神信仰なども有力である)又、ヒンドゥー教は社会や生活に非常に密着した宗教で、自分の生まれたカーストに終生属し、そのカーストに定められた義務と禁忌を守りながら、神を崇拝する生活を送るのがヒンドゥー教徒の一般的な姿のようである。
(都市部においてはこの限りではないようだ)

§1[アーリヤ人の宗教とインダス文明]
 ヒンドゥー教という宗教の源を求めるときには、普通アーリヤ人の宗教にまでさかのぼる。B.C.1500年頃、中央アジアにいた遊牧民族アーリヤ人の一部が南下しヒンドゥークシュ山脈を越えてインドにやってきた。彼らがインド・アーリヤ人であるが、彼らの宗教は自然崇拝であり、空、太陽、月、火、風、水などを神と考え敬っていて、プローヒタと呼ばれる司祭の下で祭祀が行われた。このアーリヤ人の宗教からヒンドゥー教の歴史は始まるわけだが、その源流に見られるインダス文明の影響を見逃すことはできない。アーリヤ人が西北インドに侵入した頃にはインダス文明は既に滅亡していたが、その文明を一部受け継いだ農耕民が定住していて、アーリヤ人は彼らと戦うと共にその文化の影響を受けた。アーリヤ人に影響を与え、後にヒンドゥー教に敢り入れられていった彼らの宗教には蛇(ナーガ)崇拝、樹神崇拝、生殖器崇拝、地母神崇拝、牛の神聖視の他、シヴァ神の原形と見られる神への信仰などがある。

§2[ヴェーダの時代]
 西北インドに侵入したアーリヤ人はここで定住、農耕生活に入って行くわけだが、この時期に彼らが崇拝する神々への讃歌などを集めたインド最古の文献が成立した。それがヒンドゥー教の根本聖典『リグ・ヴェーダ』であり、これが作られたB.C.1300〜1000年頃までを前期ヴェーダ時代という。この『リグ・ヴェーダ』の中で讃えられている主だった神は軍神インドラ〔帝釈天〕や火神アグニ〔火天〕、水神ヴァルナ〔水天〕、暴風神ルドラなどで、現在のヒンドゥー教の主神といえるヴィシュヌやシヴァについては、ヴィシュヌが下位の太陽神の一人として名が見られるだけで、先住民の神であるシヴァの名は見られない。
 B.C.1000年頃になると、西北インドにいたアーリヤ人の一部が東への移住を開始し、肥沃なガンジス、ジャムナー川流域にアーリヤ人の農耕文化が広がった。この時期に4つあるヴェーダの残りの3つ(『サーマ・ヴェーダ』、『ヤジュル・ヴェーダ』、『アタルヴァ・ヴェーダ』)が成立したためこの時代を後期ヴェーダ時代(B.C.1000〜600年頃)という。この時代の神々の世界においては、インドラやアグニなどへの崇拝がやや衰え、維持、繁栄の神としての相を得たヴィシュヌや、暴風神ルドラとの※習合を進めアーリヤ人の神々の世界にくい込んできたシヴァの台頭が目立った。又、この時代の大きな変化としては4つのヴァルナの形成がある。つまり、司祭階級であるバラモンを中心とし、武士階級のクシャトリヤ、平民階級のヴァイシャ、隷民階級のシュードラからなる四姓(ヴァルナ)制度の成立である(シュードラは主に先住民からなり、宗教的には排除されていた、又後期ヴェーダ時代の末期にはシュードラの更に下、ヴァルナ制度の外部に位置する不可触民の発生が始まった)。従っていわゆるバラモン教はここから始まるといえる。
※習合について
 ヒンドゥー教の歴史を語る場合にこの習合という言葉は外せない。なぜなら、初めはアーリヤ人だけの民族宗教であったものがインドに住む民族全体の宗教となったのには、この神の習合や同一視(ヴィシュヌについては化身という形を取る)によって非アーリヤ系の土着の神々を取り入れていったという背景があるからである。このヒンドゥー教の寛容な精神(節操が無いとも言われるが)は『リグ・ヴェーダ』の中にも見え、「唯一なるものを賢者は種々に呼びなす」といった句がある。(但しヴェーダ時代においては土着宗教には排他的であったと思われる)ともかく、ヒンドゥーの神話体系の話になるとこの言葉はよく使われる。

§3[新思想の興隆]
 社会の最上位の階級にあったバラモン達は自己の権威を高めるため、祭儀を複雑化し、祭祀万能を唱えた。それに対し後期ヴェーダ時代の末期には祭式よりも知識を重視するウパニシャッド聖典が編まれた。これらの文献の中では正しい知識(梵我一如)の体得が解脱につながると説かれ、六派哲学(古代インドにおいて発展しインド哲学の基本となる6つの学派でヴェーダーンタ、ミーマーンサー、サーンキヤ、ヨーガ、ニヤーヤ、ヴァイシェーシカ派の6つ)のもととなった。又、ヒンドゥー思想の根本である「業(カルマ)」と「輪廻(サンサーラ)」の思想が説かれたのもこの頃である。一方、B.C.600年頃から東のマガダ地方を中心にヴェーダとバラモンの権威を否定した新宗教運動が起こった。その中で特に有カであったのが、ブッダの開いた仏教とヴァルダマーナを開祖とするジャイナ教であった。両者は共にヴェーダの権威やバラモンの行う祭祀の有効性、更に宗教におけるヴァルナ差別を否定した。これらの宗教はバラモンの宗教独占に反発するクシャトリヤやヴァイシャの支持を受け、その教団は大きく発展した。ところで、神々においてはこの頃新たに創造主、最高神としてブラフマー〔梵天〕が考え出され、この神に対する信仰が盛んになった(ブッダが悟りを開いたときにブラフマーがバラモン教の神の代表として大衆の教化を請うたという梵天勧請の話からもわかる)。それはともかく仏教、ジャイナ教などの新宗教の攻勢にさらされたバラモン教は新たな展開を迎えることになる。

§4[叙事詩の時代]
 B.C.4〜A.D.4世紀にかけて古代インドの二大叙事詩であり、ヒンドゥー教の重要聖典でもある『ラーマーヤナ』、『マハーバーラタ』(世界最大の叙事詩といわれ『イリアス』、『オデュッセィア』を合わせた7倍の長さがあるらしい)が編纂されたため、この時代を叙事詩の時代という。叙事詩が聖典であるのは、編纂の過程でそれに携わったバラモン達が教訓的内容をそこに盛り込んでいったからである。これらの叙事詩を通して今まで上層階級に独占されていたバラモン教の哲学的思弁や宗教知識が民衆のものになっていった。それと同時にバラモン達によって教学の整備、ヴァルナに基づく社会制度の強化が図られ、ヴェーダ文献(ウパニシャッドなども含む広義のヴェーダ)の解説書的内容のスートラ(経)が多く編まれ、『マヌ法典』、『ヤージュニャヴァルキヤ法典』の二大ヒンドゥー法典の編纂が進められた。又、この時代にはマウリヤ朝のインド統一以降、ヴィンディヤー山脈を越えてバラモン教が非アーリヤ文化圏に伝わった。デカンや南インドの王侯達はバラモン教とヴァルナ制度を受け入れる代わりに、バラモンによってクシャトリヤと認めてもらうことで自己の権威を正当化しようとしたのである。
 一方、仏教やジャイナ教は教団内部の分裂(仏教においては大乗仏教の分化(B.C.1世紀頃から)、ジャイナ教における寛容派の白衣派と厳格派の裸形(空衣)派への分裂(1世紀頃))などはあったものの、これを保護、援助する王や商工業者も多く(マウリヤ朝のアショーカ王、クシャーナ朝のカニシュカ王など)発展を続けていた。しかし、バラモン教の動向とは逆にこれらの宗教は民衆との関係が薄れていく傾向にあった。特に仏教教団においては王侯や商人の援助のもとで出家者は自分達の解脱のみを考え、民衆の中に入っていこうとはしなかった(大乗仏教についても本来の趣旨とは離れ、教義研究に走り、その複雑な教義体系は一般大衆の手の届くところではなくなっていった)。この結果、信徒の増加を得ず、この時代の末期には衰退の兆しを見せていた。
 神々の世界においてはこの時代にかなりヒンドゥー教化が進み、従来のヴェーダの神々は主流派ではなくなっていた。新宗教の興隆もあって、マウリヤ朝時代以降、民間信仰(神だけではなく龍神(ナーガ)、樹神などへの崇拝や沐浴などの習慣も含む)の摂取が進み、前代までに台頭してきたヴィシュヌ、シヴァの両神を中心に多くの土着神、民間信仰が神話体系に取り入れられた。この時代に取り入れられた重要なものには、クリシュナ(元は非アーリヤ系ヤーダヴァ族の指導者の神格であったが、ヴィシュヌの化身の一つとされるようになった。後のヴィシュヌ派の発展に大きく寄与)、ドゥルガー(ヴィンディヤー山脈にいた先住民の女神であったが、シヴァの神妃として取り入れられ、後の女神信仰の中心となる)、リンガ(男根)崇拝(先住民の間で行われていたものだが、この時代にシヴァ神と密接に結びつくものとなり、後にはリンガがシヴァ派寺院の本尊となるに至る)などがある。そして、それらの神話体系を支えるものとしてプラーナ(神々の伝説が主な内容)と呼ばれる一群の文献が作られ、民衆の間に広まっていった。

§5[古代インドの終焉〜バラモン教からヒンドゥー教へ〜]
 古代インドの終焉は一般にフーナ族(エフタル)の侵入によって6世紀にグプタ帝国が崩壊したあたりとされる。又、バラモン教がヒンドゥー教へ転換した時期を明確にすることは不可能だが、だいたいグプタ朝全盛期からこの崩壊の時期であるといえる。5世紀頃に『ラーマーヤナ』、『マハーバーラタ』が現在の形に落ち着き、バラモン教の大衆化もほぼなされていた。神々についても、土着神の習合などはまだまだ途上ではあるが、プラーナ文献の多くはこの頃までに成立し、ヴィシュヌ、シヴァを中心とする神々の系譜がある程度整った。(ヒンドゥーの主神はブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神であるといわれる。しかし、実際はブラフマーが主神の地位にあったといえるのは前述の仏教が興った頃のみで、その後はブラフマーへの信仰は衰え、神話においてもブラフマーを主題とするものはほとんどない。ただ、この頃から創造神ブラフマー、維持の神ヴィシュヌ、破壊の神シヴァは三神一体(トリムルティ)をなし、同一の存在であるという考え方が明確になったのは確かである)又、インド各地にヒンドゥー寺院が建てられ、インド全土でヒンドゥーの神々が信仰されていた。ここをもってヒンドゥー教への転換としてもいいのではないだろうか。これで一応古代におけるヒンドゥーイズムの形成を見てきたつもりであるが、インド全体の宗教となったヒンドゥー教は既にこの時点で次の時代への新たな動きを含んでいる。少しきりが悪いので仏教、ジャイナ教のその後と共に7、8世紀のヒンドゥー教の新たな展開について次に少し触れたい。

§6[ヒンドゥー教の新傾向と仏教、ジャイナ教のその後]
 グプタ帝国の崩壊後のインドはイスラム王朝の侵入まで諸王朝の分立時代が続いた。その頃ヒンドゥー教では南インドを中心にいくつかの新たな動きが見られた。その中で最も重要なのがバクティ(信愛)運動である。内容は神(シヴァかヴィシュヌ)に対し、信愛を込めた絶対的な信仰(帰依)を捧げることによって救済を得ようというもので、大衆の手に届く宗教となったヒンドゥー教にとって、祭祀も知識もいらないこの信仰運動は非常に重要な変革となった。これは現在のヒンドゥー教の信仰形態の基盤となっていると思われる。もう一つの大きな動きがタントリズムである。タントリズムは秘密儀礼を行い、自己と絶対神の合一を図り解脱しようというもので、いわゆる密教のことである。又、タントリズムは女性の性的エネルギー(シャクティ)を重視し、女神信仰の隆盛へも影響するが、後に性的儀礼を重視するようになって宗教的退廃を招くことになった。
 一方、同じ頃仏教、ジャイナ教は衰退の一途をたどっていた。ヒンドゥー教の発展とは対照的に、これらの宗教は貿易の衰退による商工業者の没落により、支援者を失い経済基盤が揺らいでいた。農村中心の社会になりつつある中で、今まで農村社会との関係を持っていなかった両宗教はヒンドゥー教のタントリズムを取り入れてそこにくい込もうとし密教化した。しかし、ヒンドゥー教に近寄りすぎたために逆に吸収され、更に勢力を失っていった。特に仏教についてこの傾向が強く、イスラムの侵入に抗することができず、1203年にインド仏教最後の牙城ヴィクラマシラー僧院がイスラム軍に破壊されるとインド本土から仏教は姿を消すこととなった。

§[終わりに]
 今回は今までになく大きなテーマを扱ってしまったので、まとめようと苦慮したあげく、結局ほとんどまとまらないまま、レジュメにしてしまいました。従って、かなり筋がわかりにくいものになってしまったと思いますがご勘弁を願います。又、ヒンドゥー教の宗教思想の申身に触れられなかったのも残念です。(もし触れたらますますわかりにくいものになったでしょうが)カースト制度についてももっと触れるつもりだったんですが…まあ何はともあれ完成して良かったです。それでは皆さん、どうか楽しい夏休みを過ごして下さい。

 ※今回やや尻切れトンボで終わってしまいましたが、シリーズ化の予定はありません。
  自分の中ではちゃんと完結しているんです、一応。そういうことであしからず。

【参考文献】
 『インド神話入門』(新潮社、1987) 長谷川 明 著
 『ヒンドゥー教史』(山川出版社、1979) 中村 元 著
 『古代インドの歴史』(山川出版社、1985) R.S.シャルマ著 山崎利男、山崎元一訳
 『ヒンドゥー教〜ヴィシュヌとシヴァの宗教』(せりか書房、1984) R.G.バンダルカル著
 『インドの神々』(吉川弘文館、1986) 斉藤 昭俊 著
 『世界の歴史3 古代インドの文明と社会』(中央公論社、1997) 山崎 元一 著


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