1998年5月15日
源氏物語を読む  マリー


<初めに>
 歴史研究会に源氏物語? と首をかしげる人もいるだろうがそんなことはない。源氏物語は世界第一級の文学作品であるとともに、平安時代というある意味日本の文化の一大転換点を忠実に描写した記録でもあるのだ。当然この物語を政治・経済・宗教などの視点から切り開いていく読み方もあるのだが、今回はこの歴研にふさわしい(?)読み方は横に置いておいて(これ、シリーズ化するかもしれん)純粋に文学的に、三田村雅子先生(現・フェリス女学院大学教授)の読みを中心に『若紫』の一部を読んでみましょう。

 色好みとして知られる『源氏物語』の主人公光源氏が、実質的に恋の冒険に乗り出していくのは、若紫巻の北山行きが始めであるに違いない。空蝉や夕顔、さらには藤壺という永遠の人とのひそかな恋愛事件はあったものの、年上の人妻との表沙汰にできない忍びごとを除いて、物語の上で初めて描かれる恋の場面は、幼い少女への不思議な執着を表す場面であった。
 「若紫」という巻の名が暗示するように、この北山訪問は、『伊勢物語』初段の昔男の春日の里訪問と垣間見の趣向をなぞっている。

  むかし、男、初冠して、平城の京、春日の里にしるよしして、狩に往にけり。その

 里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男垣間見てけり。おもほえず、古里

 にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。

 昔男が成人式を挙げて、成人した男子として春日の里を訪れ、ふるさとの見捨てられた平城京に不釣り合いな優美な女姉妹を発見して動揺・惑乱する。『伊勢物語』が、都の南方の奈良の都、春日の里を舞台にしているならば、『源氏物語』はこれと対照的に、北山を舞台にして、垣間見から始まる恋の物語を語ろうとする。
 『伊勢物語』が「女はらから」であったのに対して、ここで垣間見されるのは、尼となった祖母と孫の幼い姫君である。『伊勢物語』が狩という若者らしいスポーツをきっかけとする遠出を描いているのに対して、『源氏物語』は病に侵された気弱な光源氏を描いている。『伊勢』の色好みの昔男を模倣しながら、パロディのようにずれてしまう、源氏の冴えない冒険から、物語を始めていくこの巻の有名な垣間見場面を読みながら、『源氏』特有の語りのあり方を考えたい。

 「わらは病をわずらひたまひて」その治療のために北山に行くというのが光源氏の北山訪問のそもそもの理由であった。しかもこのマラリヤのような伝染性の病らしい「わらは病み」を彼のみが患い、こじらせているというのである。光源氏のみが病を長引かせてしまうのはなぜか? 間歇的に高熱を発するという光源氏の病状には何か深層の理由があるのか? 『伊勢』の「狩」ならぬ「病」に焦点があてられているこの異様な点に、まず注意を注ぐ必要がある。

 若き光源氏の心身を蝕み、食い破っている潜伏性の「病」とは、義理の母である藤壺との関係に発する罪の意識、外側の取繕いの裏側で確実に進行している狂気の反映に他ならない。世間に知られれば身の破滅となりかねない、身分不相応な思いを抑圧し、世間の目から蔽い隠し、最愛の父桐壺帝を欺き続けているという良心の呵責は、不断に源氏を責め続けていたに違いない。病は、そのような心のストレスにつけこむかのように彼の<身体>に取りつき、これを支配している。彼の抑えられ、隠された思いを反映するように、病は一向に退散せず、潜伏しながら発熱を繰り返していたのである。その治療にわざわざ訪れた北山の聖の室は、岩窟に穿たれた洞窟として、母の胎内のように光源氏を受け止め、癒し、送り返す場所となったに違いない。古来聖たちが洞窟を好んで庵としてきたのは、その岩に囲まれた母胎回帰にも似た安らぎを求めてのことであった。光源氏もまた、その母なる空間に抱え込まれることによって、幼い日、母を失って以来、彼を駆り立て続けてきた心の傷を癒すような思いがあったに違いない。さらに、室の中での聖による加持祈祷の治療も一段落したところで、語られるのは、光源氏の気分転換の為の外界の見物である。

 @日高くさしあがりぬ。すこし立ち出でつつ見わたしたまへば、高き所にて、ここか

 しこ、僧坊どもあらはに見おろさるる。

 日が高く上がった翌朝、光源氏は聖の室の外に出てあたりを見回す。つづらおりの山道の下には小柴垣をめぐらした風情ある建物が見える。上から見下ろすと女童や女の姿も見えて、供人たちは心惹かれないわけではなかったが、光源氏はまだ病の再発を恐れ、それどころではなく修業に熱中している。

 A君は行ひしたまひつつ、日たくるままに、いかならんと思したるを、「とかう紛らは

 させたまひて、思し入れぬなんよくはべる」と聞こゆれば、後の山に立ち出でて京の

 方を見たまふ。

 日盛りになって、気分転換のために後ろの山に登ってあたりの景色を見回してみると、京の方角は春霞みに霞んでぼんやりと絵のように美しく遠く、小さく見えている。
 京の方角とは、藤壺へのうずくような思いとその良心の咎め、父帝へのやましい思い、世間への怖れ、怯えなど、さまざまな葛藤で息を詰まらせてきた世界である。それが北山の山上へ登り、抜け出てきたことによって、まるで小さいことであったかのように、はるか下方に見やられ、余裕をもって振り返られているのである。ここでは源氏の語られざる「過去」が春霞のかなたに距離をもって見つめられているのである。
 北山からの景観をうっとりと見つめる源氏に対して、供人たちは、地方官としての体験から地方の風景はさらに雄大で見事であることを説く。中で源氏の興味を惹いたのは播磨の明石の浦の風景と、そこに住むという風変わりな明石入道父娘の話題であった。
 この並々の男を婿取るまいと決意するプライドの高い親子の異常な執念と、源氏は九年後、須磨・明石流謫(るたく)の果てに出会うことになる。北山の山上で聞いた噂話は、そのいち早い予告であり、伏線であったのだ。明石入道とその娘明石君として源氏の生涯に重い任を果たす二人の紹介が、若紫の登場とセットで語られていることでも、北山訪問の重さは明らかであろう。ここでは実際の目には見えなくとも、供人たちの噂話を媒介として、源氏のはるか「未来」の流離と試練の運命が見つめられ、幻視されているのである。
 このように北山山頂の源氏の姿には、高い山に登って、自己の支配する「国土」を見、その支配下の土地の豊穣を予祝する古代の天皇や首長の姿が重ねられている。「国見」と呼ばれるこの儀礼は、もともと高山に登ってその山頂から見える限りの土地を支配下に置き、これを管理し、掌握することの宣言を年ごとに繰り返して言挙げするものであったが、その素朴な村落共同体の時代の発想を受け継いで、より大きな超越的支配者となった天皇は、現実に見えない土地までも、「見える」と言挙げして支配下にあることをアピールし、土地の名や風景や物産を象徴的に集約するものであった。

cf. 天皇が、香具山に登らせられて、国見せられた時の御製

 大和には群山あれど とりよろふ天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は煙

 立ち立つ。海原は鴎立ち立つ。可怜(うまし)国ぞ。蜻蛉洲(あきつしま)大和の国は。

 天皇になる道を閉ざされ、臣下の「源氏」として生きることを限界づけられたこの光り輝く皇子は、その限界・制約にあらがうように、逆らうように、北山からはるかな風景を「見る」ことで、真の王者にふさわしい存在として、見えざるかなたの風景の掌握を宣言しようとしているのである。
 天皇の即位の儀を行なう大嘗祭の時、御座所の周りに巡らされる悠紀(ゆき)・主基(ずき)と言われる屏風の絵は、日本全土の地名を取捨選択した歌枕絵となっており、その描かれた土地々々の地名を歌いこんだ歌によって土地々々の魂を身につけ、帝が新しい、帝王にふさわしい<身体>として生まれ変わることを表すものだった。源氏による北山の「国見」は、病からの回復によって、光源氏がそれまでの子供時代を抜け出し、真の王者にも等しい存在として再生していくことを示す通過儀礼だったのである。
 さらに、その日の夕方、発熱の発作が起こらないことに安堵した源氏は、山を降りて、夕闇にまぎれて先ほど上から見た小柴垣の家を覗き見て、若紫の少女を発見する。

B日もいと長きに、つれづれなれば、夕暮のいたう霞みたるにまぎれて、かの小柴垣の

 ほどに立ち出でたまふ。人々は帰したまひて、惟光朝臣とのぞきたまへば、

朝方は興味は惹かれたものの、わざわざ降りて見に行くまでの気持ちにはとてもなれなかった源氏が、供人たちの誘惑に誘われて、覗き見をしに行くまでに回復し、自信を取り戻したのである。
 このあたりの物語の叙述が、「日高くさしあがりぬ」「日たくるままに」「日もいと長きに」と太陽の運行とともに律儀に源氏が「立ち出でて」あたりの景色を見る叙述が繰り返されていることも、源氏の病の回復が、単に聖の治療の効験だけでなく、「見る」ことによる段階的な癒し、回復でもあることを印象づける。京の方を見やることが、藤壺事件という「過去」への振り返り、反省だとすれば、遠い見定めがたい明石へのまなざしは、はるか「未来」を透視するものであり、これから始まる若紫の少女の垣間見は、「現在」の状況を打ち破り、かき開く出会いを語るというかたちで、光源氏の運命のおおよその粗筋が、ここ北山の「見る」行為に集約されているのである。


  源氏の女君の身体描写

 基本的にはセックス描写(光源氏の)
藤壺 …じっくり鑑賞するヒマなし(キンチョウしてたからね)
紫の上…ちょうど良いくらいの背の高さでスタイルも理想的(間接的に藤壺も)
         中庸=光の好み(Aristotelesみたい)
六条御息所…セックス少なし
明石上  …すらりと長身(間接的に六条も)
→威圧的な体格の女=>煩わしいという個性の表われ
朧月夜…豊満で活発な風情。風邪をひき「痩せた姿」が美しいと光コメント
軒端荻…「むちむちと肉感的で長身」「いつでもできる女」とさげすまれる
      基本的に『源氏』の中ではデブ=下品
 空蝉、末摘花、花散里…ヤセている、ブス(源氏物語の特徴の1つはブスが多い。元恋人6人のうち3人がブスという高率)主人公の恋人、妻になるというオイシイ役

  結論  源氏物語ではヤセ=上品 デブ=下品

 光源氏とのつきあいの中ストレスを強め、ヤセた女が増えてゆく…男と関わるほど生きる苦しみが増えるという紫式部のヒネた(?)男性観?
  =>拒食症の大ハヤリ cf. 桐壺の更衣 高貴な人の結婚も女性を幸せにはしない

 初めにヤセありき…男との戦いの中で、戦う相手は男ではなく、男に映し出された自分自身だと気付く

宇治十帖  大君…初めて自分の姿をに映す。→いつも男とともにあった女の肉体が初めて男を離れ、女自身の視線のもとに浮き彫りにされるが、意識は男に抱かれる自分としての体にある。→男の視線

浮舟…女房の私生児で田舎者で気弱。男好きする体をもっているという『源氏』の不幸な女の集大成のような存在
   「ヤセ」型「幼げ」型=>今までの物語で無視された女に(二流の)スポットを当てた紫式部

 女の死→男達はそれほど気にとめない。ex. 薫、匂宮、桐壺帝

浮舟の復活、失踪した浮舟は生きていた。孤独に生きていくことを選択する

     =>女が自分の体を自分のものとして、自分の人生を自分で決めるものとしてみつめ始める。
参考文献.三田村雅子『源氏物語』ちくま新書。新潮古典集成 源氏物語1
 阿部俊子注 伊勢物語(上)講談社学術文庫。AERA MOOK 源氏物語がわかる


  平安中期女性のユーウツ

10c.末〜11c.中、蜻蛉日記・和泉式部日記・更級日記
        枕草子
  =>「私」という存在の意味を、他人や社会に知られたい、認められたい。
  …和歌は短詩型であり、制約が多く、大きな複雑な思いは表現できない。→新しい表現形式

 背景に10c.の貴族社会に見られる公(集団)と私という2つの生活の場において、異なる自己のあり方を意識し始めるとともに個人の生活や心を重視し始めたことがある。<=100年以上も続く戦のない中央

特に女性にとっては「世の中」=男女の仲
 当時の女性にとっては、時折外部から通ってくる夫や恋人が唯一の他人との交渉の場
 絶えず物思いにふける生活の中で、深い悲哀に静かに耐え、内面性を深めてゆく女性たち

 具体的に物語に則してみると、
第一部「玉の輿物語」 ex.  明石の上
 しかし、他の物語とは異なり、疑問なしに高貴な男性の妻をめざす、という単純なあり方はせずに、あれかこれかに思い悩むという態度をとる。

 后や大臣の妻の位を狙うことにより、第一に社会的な高い位を得ることによって、自己確認を行う。
=>
 でも、男性に比べて、社会的な場から疎外されてしまった女性たちは直接に自分が地位を追求できなくなり、身分の高い男の妻という間接的な方法をとらざるをえない
 →本当の幸せ?(紫式部という人物の洞察)

∴後半 第三部  宇治十帖の大君
 財産のない自分には薫の妻の座を維持できず、つらい思いをする→放棄
 =>人間的な誇りの追求という心理的問題(内面性の時代)

浮舟
 下級貴族の後妻になった母の連れ子として、放浪生活をしていた卑しい(八の宮の子ではあるが)身分の娘。
 薫と匂宮の間にはさまれ、自殺を企てる。
 =>無意識のうちに生活の豊かさよりも、内面的な充実感を必要としている。

最初は高貴な男の妻の座→価値の転換→一切の世俗生活を否定した仏道へ救済


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