2002年1月18日
スーフィズム  矢野武志


はじめに)
前回は、イスラム教の発生期〜アッバース朝期までを概観しました。今回は続きからしたかったのですが、分派がたくさんあり、わかりにくくなってしまうので、中世イスラム期に広まった神秘主義運動を取り上げたいと思います。


1.スーフィズムの発生
(1)「スーフィー」の語源
 スーフィズムとは、8世紀末頃イスラム教の中に生まれた神秘主義を指す言葉です。この語は、欧米での呼称であって、アラビア語ではタサッウフと呼ばれます。これらの語は、両方とも、神秘家・神秘主義者を意味するスーフィーから派生したもので、このスーフィーの語源については諸説あります。一般的にはアラビア語の羊毛(スーフ)から派生したと考えられています。スーフィーとは元来、エジプト、シリア・パレスチナ地方でキリスト教の隠遁修道士が迫り来る終末と審判を前に自己の罪業の深さに恐れ、懺悔のしるしとして羊毛の粗末な衣を身にまとい、禁欲と苦行の中に生きる人々を指していました。これが8世紀前半のことといわれ、のちに神秘家・神秘主義者を表わすようになりました。

(2)禁欲主義
 前述の経緯は、禁欲主義と神秘主義との密接な関係を示しますが、禁欲主義と神秘主義とは決して同じものではなく、また禁欲主義がそのまま成長して神秘主義になったのでもありません。しかし禁欲主義は、神秘主義思想の芽生えた土壌となりました。
 禁欲的な傾向は預言者の時代からあり、メッカの中で少数のイスラム教徒が不安な生活を強いられていた時期に一般的なものでした。しかし、ヒジュラ後メディナに独立の教団が成立すると、その維持・発展のために現世的問題にも積極的に関心が向けられるようになり、緊迫した終末意識は薄らぎます。さらにその後の大征服により共同体は富裕化してきます。一部のイスラム教徒には、これらのことが終末や来世のことを忘れた世俗的野心・不信仰の結果と思われました。これが内に向かえば現世否定的な禁欲主義となり、外に向かえば現世主義を容認し助長する政府への批判となって現れました。
 初期の禁欲主義には隠遁的性格は認められず、事実ムハンマドも、ひたすら礼拝に没頭して日常生活をおろそかにする人を非難したというハーディースも伝えられています。しかし後になるとキリスト教の隠遁修道士の影響を受けていきます。

(3)スーフィーの特徴
 スーフィーの特徴は神への無私の愛と信頼です。ここでは、神の怒り地獄の恐怖は背後に退き、愛における神との一体化が強調されます。だから「私」と「神」が存在すると考えること自体が二元論であり、真のタウヒード(神の唯一性)に反するとし、「私」、つまり自我意識の消滅がなければならないと考えます。
 よって、第一の特徴は、神と自己との二元対立を超えたところ(その極致がファナ一体験)に真のタウヒードをみ、それを理想的な生き方とすることです。第二の特徴は、そのような境地には自然に誰でも到達できるというのではなく、導師の指導による長年にわたる特別な修業を必要とする、と説くことです。

(4)スーフィーの発生要因
 このようなスーフィーの発生を促した外的な要因はさまざまあり、中でもインド哲学や仏教、キリスト教の禁欲主義、ヘレニズム思想やグノーシス主義との関係、さらには自然発生説など、研究者の間で多くの議論がなされました。しかし、内的な要因を考えるとをわかりやすくなります。
 第一に、八世紀末から九世紀前半はウマイヤ朝に代わってアッバース朝が成立し、イスラム法の体系化も完成し、その代弁者であるウラマー(聖法学者)とカリフ体制との緊密な協力関係が成立しました。このような中でイスラム法の国法化が進み、形式主義化しました。
 第二に、このころまでには聖法学のほかに伝承学、神学、コーラン解釈学、文法学などイスラム諸学が専門化して分化し、職業化して民衆から離れていきました。
 第三に、ウラマーが階級として独立してくると、その学問内容が難解になり、神は非人格化・抽象化され、ますます民衆からかけ離れた存在となります。同時に、職業的利益を守るために、ウラマーは政治権力との癒著を強め、神への奉仕者としての批判精神を失ってしまいます。

(5)ウラマーとの対立
 このような信仰の形式主義化と世俗化のなかに宗教的危機を感じ取り、行為の内面性を強調する人々が現てきました。彼らは単に内面性を強調するだけでなく、神のなかへの自我の「消滅」(ファナー)、忘我体験の中で「神−人」の二元性を超越するまでにならなけれぱならないとしました。ここにスーフィーの新しさがあります。
 やがてスーフィーたちは動機の純粋さを強調するあまり、自我意識の消滅による神と自己の二元的対立を完全に払拭するまでにならなければならないとし、そのために聖法に定める以上の特殊な修業や実践を行なうようになります。さらに、それ以外の信仰のあり方に否定的態度をとるようになって、ウラマーとの緊張・対立を生み、スーフィーは異端の徒であると非難されるようになります。そして時には、国家権力と結びついたウラマーによるスーフィーの「殉教」という結果をみることになります。

(6)ウラマーとの対立要因
 このようなウラマーとスーフィーの対立を助長した要因としては次のものがあります。
 第一に、律法主義に対して内面性を強調するあまり、聖法の形式を無視したり、道徳否定的な発言をするスーフィーが出てきたり、また中にはスーフィー聖者は聖法を超越していると公言したり「合一」体験に対して異端的解釈をする者さえいました。こうした公然たる聖法無視や軽視、異端思想は、伝統の護持を自認するウラマーの反発を招きました。
 第二に、両者が代弁する知識の違いがあります。ウラマーとは元来「知識ある者・学者」を意味するアーリムの複数形であるが、その知識(イルム)とは、神が使徒に下した啓示および使徒のスンナ(範例)についての知識のことです。この知識はその本性上形式的かつ客観的であり、誰でも学習によって学びうるものです。ウラマーとは、こうして知識を習得し、一般のムスリムに対して正しい信仰と行為規範についての助言や指針を与える聖職者集団のことです。したがって、この知識の所有者が現実にその実践者であると言うことには必ずしもなりません。
 これに対してスーフィーのいう知識(マーリファ)は体験的直観の知識です。それは体験によって自ら知る−神から与えられる−しかなく、体験を共有しないものには理解できません。そこからスーフィーの中には、マーリファはイルムに優ると主張する者も出てきました。しかし、マーリファの正当性を証明する客観的基準が無い以上、そのようなことが容認されれば、イルムに基礎をおくイスラム教の伝統と共同体的秩序は崩壊し、自己の存在理由が失われるために、ウラマーはとうていそのような主張を認めることはできませんでした。
 第三に、聖者の奇跡の問題です。聖者は「神の友」(ワリー)として、神から特別の恩恵(カラーマート)を与えられるとされています。これが聖者の奇跡です。他方、コーランでは繰り返しムハンマドは単なる人闇であることが述べられているが、その死後からキリスト教などとの対抗上、彼を聖化する傾向が強まり、「奇跡の執行者」としての地位が確立します。もし聖者にも奇跡が認められるとすれば、両者の差がなくなるとの危惧がありました。さらに、聖者の廟を訪ねてその助力を求めて、祈願や誓願などの聖者崇拝、多神崇拝(シルク)の罪にあたるとのウラマーからの批判を招きました。
 第四に、「我は真理なり」、「我は神なり」といった、神秘体験の中で発したとされ、それを端的に表現するスーフィーの言葉が神への冒涜だと非難されたことです。スーフィーの解釈によれば、事実は逆で、それは人間の自我意識の死滅によって、自己の中に作用している神の存在が顕わになり、神がその人の口を通して語っているから、この「我」は神的な「我」であって、通常の自我ではありません。したがって、それは最も徹底した自己卑下の表現であるとされています。


2.スーフィズムの理論と実践
(1)修行について
 スーフィズムの修行とは、人間が神に近づくための準備です。その目標は「合一」体験でありそのための永くて苦しい修行です。それはまず、自己の行為を形式的論理的に神の命令に一致させるだけでなく、内面的にも自己と神とを隔てる一切のものを排除することにあります、、そのために入門者(ムリード)は、通常のムスリム以上に神の法と使徒のスンナを厳守します。神の命令背きながら神に近づくことはできないからです。シャリーアの順守はここに位置づけられます。
 修行の方法については、最初は神の命令やスンナをひたすら順守し、意味の不分明なコーランのテクストについての恒常的瞑想や禁欲行でしたが、のちに理論的反省が加えられ、神秘階梯(マカーマート)と、それと区別された心の変化する状態(ハール)の理論が完成します。
 スーフィズムでは、入門者は必ずビールまたはシャイフと呼ばれる特定の導師につき、指導を仰がなくてはなりません。「導師なきムリードの導師はサタン」といわれるように、それは必須の条件です。他方、一人で何人もの導師を遍歴することも可能でした。しかし、のちになると、導師への信頼は絶対的なものとされます。

(2)神秘階梯
 第一の階梯は「懺悔」(タウバ)です。これは、通常のムスリムが、犯した罪を神に告白して悔い改め、神の許しを求め、再び同じ罪を繰り返さないように決意して神と和解することとは異なります。スーフィーの場合、それは従来の生活のあり方全体の非を認め、本来のスーフィーとしての生き方にこれから踏み出すその決意表明のことです。
 第二の階梯は、「律法順守」(ワラア)です。これは、通常のムスリムのための義務はもちろんのこと、実行・避忌が望ましいとされていることのほか、その適否が疑わしい行為も一切慎み、しかも常に神が自己の行動を注視しているとの自覚を持つことです。
 第三の階梯は、「隠遁」(ハルワ)と「独居」(ウズラ)です。イスラム教では乞食が原則として禁止されていて、自分で生活の糧をえなければなりませんからそこで可能な限り世界から身を引き、人々との交わりを断って現世の束縛を断ち、世俗的欲望を排除することです。
 第四の階梯は、「清貧」(ファルク)と「禁欲」(ズフド)です。たとえ法にかなっていても、最低限生活に必要なもの以外、それも一日ないし数目分以上の量を所有しないことです。ただ単にものを所有しないだけでなく、富に対する欲望そのものの否定が合まれます。
 第五の階梯は、「心との戦い」(ムジャーハダ)です。人間の行為がいかに制御されていても、最後まで悩ませるのが心の問題です。人間は自己の努力によって一つの悪しき心を克服したと思っても、無意識のうちにそれが別の悪しき心を呼び込んでいる場合があります。無知・自惚れ・ねたみ・傲慢・敵意といった悪しき心がいつの間にか忍び寄ってきます。目に見えないだけにその発見と矯正は非常に困難です。
 第六の階梯は、「神への絶対的信頼」(タワックル)です。これは、個としての自己の意志を放棄して全てを神のなすがままに委ねることです。これは、自己およびその周囲に起こる全てを、神の意志として甘受するという境地です。

(3)ズィクルからファナーへ
 理論面での準備ののち、あるいはそれと並行して、ムリードは一切の雑念をさけ、ひたすら神の名を唱えて思念を神に集中する強度なズィクルを行ないます。やがてムリードの意識は観照の対象に固着し、それに完全に包摂し尽くされ、彼我の二項対立意識は薄くなりファナーへと移行します。ファナーとは「死滅」を意味します。それは神秘的観照の対象としての神が主体の心を完全に圧倒し包摂し尽くしているために、自己をまったく意識しない状態(恍惚状態・忘我)です。主体の心は客体に没入しきっているために自己についての意識はありません。客体のみが心を占めています。これは無意識や失神とは本質的に異なります。意識がないのではなく、ただ自己についての意識がないのです。このような状態では、観照の対象、観照の主体、および観照行為の区別や分化は存在しません。自己は完全に対象(神)の中に包摂され一体となっているのです。

(4)ファナーの意味
 ファナー体験は通常は永くは続かないが、神との直接的出会いというこの強烈な至上の歓喜は、スーフィーの心はそのような神に対する感謝と感激に満ちあふれます。そしてそれは、神のために、また神との再会の歓喜を今一度享受するためには、いかなる犠牲をもいとわぬほどに強烈な思慕(シャウク)として表わされます。このようにしてスーフィーは直接知(ザウク)により神を知れぱ知るほど、神への愛はますます烈しくなります。
 こうして神への愛(マハッバ)は熟愛(イシュク)に変わり、さらに神への親近感(ウンス)へと発展します。しかし、この段階に至ってもスーフィーの神への思慕は終わりにはなりません。というのは、人間の現世での生存そのものが、完全な神秘的観照を不可能にしているからです。どれほど高い境地に達した者でも、人間の現世的存在そのものからくる諸要素を無視することはできません。その意味で世俗との絆を完全に断ち切ることは不可能であり、それが瞑想を乱し注意をそらします。したがって、完全なる「見神」「神との接見」は、スーフィーが現世的存在の絆そのもの、肉
体から解放される来世においてのみ可能となります。よって人間の最高の喜びと至福は来世において初めて可能になります。これが人間の究極の目的です。現世での人間の生活はこの目的のための準備にすぎませんが、現世において神を知り、神を愛することが多ければ多いほど、それだけ来世における至福直感(見神)は、より完全になります。
 現世は人間がその肉体を通じて心を浄化するための修錬の場です。人間の肉体は「その心を神に似せる」ための道具なのです。このようにして、現世は人間の究極目的との関連で初めて積極的な意味を持ち、ファナー体験は終末論的意味を持ってきます。このファナー体験は来世における至上の幸福の一部を先取りした体験にほかなりません。


3.スーフィー教団の発展
(1)教団組織の成立と民衆化
 元来、少数のムスリムの運動として出発したスーフィズムではあったが、12,13世紀頃から特定の聖者を「教祖」とし、彼を中心にした垣常的な教団組織(タリーカ)が各地に成立してきます。そして、専従のスーフィーを中心に、多数の「在家の」信徒をも組織する形で民衆化していったのです。
 従来は、弟子について修行し、一人前のスーフィーとしての認可を得れば、そこを離れて一一人立ちし、シルシラと呼ばれる「血脈」を受け継ぎ守りながら、今度は自分が弟子を指導するようになります。以前の師との間に組織的な関係は何も残りませんでした。ところが、いまや師弟の関係が組織としてそのまま残るようになります。弟子たちは一人前のスーフィーとなって各地に散っていき、教団の支部を開設し、さらにそこから別の支部が次々に細胞分裂していき、こうして教団のネットワークが各地に拡がっていきました。
 もう一つの組織上の特徴は、日頃は生業に従事している通常のムスリムをも組織化し、定期的な教団の勤行に参加させ、指導していったことです。こうして彼らは教団を財政的に支えることになります。
 このようなお勤めのための集会場をザーウィヤ、テッケ、ハンカーと呼び、そこでズィクルやサマーといったお勤めが行なわれました。ズィクルは個人ないしは集団で神の名や神を称える短い文句を繰り返し唱えることで、通常頭を動かしたり、手足の運動や調息・観想を伴います。サマーとは神の愛をテーマにした詩を歌い聞くことですが、ズィクルはともかく、サマーについてはウラマーの間でその是非が論じられました。

(2)修行の簡易化と布教
スーフィズムが民衆化していくには、修行が民衆に可能な形で簡易化される必要がありました。それが集団的ズィクルですが、その具体的形態はさまざまであり、そこに各教団の工夫と特徴が見られました。このような修行形態や儀礼、内部組織の形態、シャリーアやウラマーに対する態度、政治権力との関係、支持階層などの点でいろいろな違いが克られました。各教団は主としてその開祖の思想や性格に由釆する特性に従ってさまざまな階層や地域に組織を拡大していき、最後にはウラマーも含めてほとんどのムスリムがいずれかのスーフィー教団に所属するという状態になりました。それだけではありません。スーフィー教団は商業ルートに沿ってブラック・アフリカや中国、インド、東南アジアなどの異教の地にまでも、その独特の布教形態によってイスラム教の信仰を広めていきました。

(3)教団化と民衆化の要因・時代背景
 このようなスーフィー教団の発展とスーフィズムの民衆化を生み出した要因の一つに民衆が「奇跡の執行者」の聖者に現世的利益を求めたことです。加えて、民衆自身がスーフィー的生き方を理想の生き方と考え、それを模倣して自らもスーフィーになろうとし、またスーフィーの側も民衆にも受け入れられるような修行上の工夫をした点です。そこにはイスラム教の信仰のあり方に対する根本的変化が見られます。
 シャリーアの実践を通じて理想的な共同体を地上に建設することに神との交わりを見出した「共同体型」の古典的イスラム教は、アッバース朝の初期に一応の完成を見ました。しかし、そこにはすでに形式主義という新たな宗教的危機が潜んでいて、スーフィズムの発生はそのような危機に対するものでした。
 さらに、アッバース朝の中央集権的体制も一世紀たらずの間に崩れ始めます。すでに9世紀から共同体内の各地に軍事力を背景に政治的支配を確立する者(アミール、スルターン)がでてきました。またカリフを僑称して公然と挑戦する者も現れ、アッバース朝カリフの実権は徐々に失われ、イスラム共同体は政治的杜会的に分裂し混乱していきます。1258年のモンゴル軍によるアッバース朝の滅亡は、共同体統合のシンボルをも奪ったのです。スーフィー教団の発生がこの前後に起こっていることは決して偶然ではありません。
 このような時代背景の中では、その宗教的理想の実現の場を従来のように共同体に求め、シャリーアを通じて神との交わりを求めることが現実的意味を持ちえなくなってきたのです。それよりもむしろ、個々人が自己の内面において直接的に神の存在を認識し、そのようにして信仰を確かめる方向に向かいました。
 スルターンやアミールのような武人たちに理想の政治を期待し、それに積極的に協力することは余りにも非現実的になっていました。それよりも政治から離れた地域社会の中に相互に信頼し合える私的で緊密な共同体を作ろうとする動きが出てきました。そしてその核となったのがウラマーではなくスーフィーであり、その道場でした。こうしてムスリムの地域的再統合化はスーフィーの教団組織を通じて行なわれました。そして、スーフィー教団の世界的拡大、特にインド・東南アジアヘの浸透によって、そのネットワークを通じて、ムスリムは再び政治とは無縁のところで新しい結合を生み出すことになったのです。
 こうしてイスラム世界は再び16世紀に発展のピークを迎えることになります。


おわりに)
 予定では18日発表だけど、学校がセンター試験で休みらしい。これはいつ発表するんだろう…


参考文献
 Hコルバン著 黒田壽郎・柏木英彦訳『イスラム哲学史』岩波書店
 嶋田襄平著『イスラム教史』山川出版社
 井筒俊彦著『イスラーム文化』岩波文庫
 中村廣治郎著『イスラム教入門』岩波新書


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