2002年6月7日〜14日
中国民衆文化史  NF


(1)はじめに
 人間が人間である所以は無駄な物を求める所にある。ただ本能レベルの「生きるのに必要」というのには飽き足らず富・快楽・精神的幸福を希求せずにいられない、それが人間である。そして民衆文化の本質は「純粋な無駄」と言う事にあると思う。民俗文化の様に生活・宗教上の必要と密着している訳でなく、知識人文化の様に社会的地位の目安となっている訳でも自我の確立に関わる訳でもない。ただ快楽を満たす娯楽として発展してきた物である。現実に行うと危険を伴う刺激を、虚構により代行することで快楽・精神的充足を得る為の物である。そして、文明の価値はその民衆文化によってある程度量られると思う。何故なら、民衆文化の繁栄は無駄な事に金を使えるだけの豊かさがある証であり、また社会に無駄を許容し自由な発言を認める余裕があるという事も意味する。そして人々の大部分を占める民衆がどれだけ元気かという尺度である。民衆文化こそ平和と幸福を希求する上で最も欠かせぬ物でなかろうか。そこで今回は中国の民衆文化について述べたい。

(2)前史     
○原始(〜前1700頃?)
 中国に人類が住着いたのは古くからであった様で、やがて黄河流域・長江流域に農耕文明を築く様になっていく。身分形成は充分でなかったであろうから、当然この頃の文化活動には一般人が関わっているであろうが詳しい事は分からない。

○古代(前1700頃〜3世紀 王朝成立〜漢)
農耕が発達するにつれて村落が拡大し都市国家を形成、やがて殷や周の様なこうした都市の盟主である「王」も誕生した。しかし都市国家同士が争乱を繰広げるようになり春秋の覇者達を最後に「盟主」では纏め切れなくなった。やがて都市国家は次第に強力な支配を行う領域国家に成長、その中から秦が抜け出して統一、やがて漢がそれを受継いだ。習俗・祭祀などで謡われる歌謡・詩は「詩経」「楚辞」に編纂されている。ただし、この時代の娯楽として賭事などは見られたようだが都市娯楽文化が充分な発展をしているとは言い難い。

○中世(3世紀〜9世紀 後漢末・魏晋南北朝・隋・唐):都市文化誕生
 産業発達に伴う余剰生産物増加は貧富の差を拡大し、その中で力をつけた豪族が自足自給の経済体制を作っていくようになる。中央政権の支配力が弱まると共にこうした豪族たちが割拠し後漢末・三国の争乱が起こる。その中で最有力となった曹操の下に集まった豪族たちは都市文化サロンを築いていく。魏の文帝(曹丕)が「典論」で「文章は経国の大業、不朽の盛事なり」と述べているように、実用から離れた文化が重視されるようになった。曹操や曹丕さらに「洛神賦」で知られる曹植を始め、王粲・孔融に代表される「建安七子」が五言詩を確立、形式の整った洗練された詩が作られるようになった。また文帝は小説の先駆けとなる「列異伝」を著している。また麻薬五石散を服用したり山野に逃れ世俗と関係のない哲学的な議論に耽り現実逃避をする傾向が現れた。三国末の阮籍・阮咸ら竹林七賢がその代表である。さて戦乱の中で異民族がその軍事力を期待され中国に数多く移住。その結果、戦乱を一時収めた晋の崩壊を切っ掛けに中国は豪族・異民族による小政権分立した状況となった。しかし豪族たちは中央政権に一定の服従を示し、その大土地所有を背景に政府の下で貴族となる。北中国では占拠する異民族達が抗争を繰広げる一方、貴族を始めとする多くの漢民族が移住した長江以南では開発が進み貴族を中心とした都市文化が花開いた。技巧を重んじリズムや韻を整えた駢儷文が文章の主体となり、詩文が益々盛んになる。5世紀の謝霊運や「帰去来辞」で知られ仕官から退いて田園生活を楽しんだ陶淵明が特に知られている。こうした著名な詩文は6世紀の昭明太子が編纂した「文選」に多くが収められている。昭明太子と同時期の鍾エ「詩品」や劉?「文心雕龍」は文芸批評作品として有名だ。また物語作成も盛んで様々な逸話を纏め4世紀に干宝が「捜神記」5世紀には劉義慶が「世説新語」を著した。また不安定な政治状況下の貴族達による現実逃避傾向はこの頃も盛んで、仙人になる事で不老不死を得る事が追求され葛洪「抱朴子」が著されている。詩文のみならず、書かれた文字の形の美しさが追求されるようになり「蘭亭序」で知られる王羲之が名人として称えられた。また絵画でも顧ト之が有名だ。
 さて6世紀後半に隋によって中国が統一され唐がそれを引き継いだ後は、平和な時代を背景に貴族文化が一層発展。王勃・楊炯・駱賓王・盧照鄰ら初唐四傑や宋之問、「代悲白頭翁」で知られる劉希夷が清新な詩文を作り、8世紀半ばには「詩仏」王維・酒を愛し「秋浦歌」で知られる「詩仙」李白・「春望」で有名な「詩聖」杜甫の下で律詩・絶句といった形の整った詩が完成される。同時期に孟浩然・辺塞詩で著名な岑参・「楓橋夜泊」で知られる張継がいる。またこの頃には絵画も盛んで王維は風景画、呉道玄は人物画で名を馳せた。9世紀前半は平易な文体が好まれ「長恨歌」「琵琶行」などで日本でも親しまれた白居易、その友人元モェ活躍。元モヘ伝奇恋愛小説「鶯々伝」でも知られる。この頃の伝奇小説は異類との恋愛という形で現実と遊離した恋愛を描く物が多かった。さて8世紀後半には唐が衰亡に瀕する中で貴族の政治的実力が無に等しくなりそれを受けて現実逃避的で甘美な詩が作られた。「江南春」で知られる杜牧、李商隠、温庭?が知られる。

(3)近世(8世紀〜19世紀後半 安史の乱〜清)
○前期 (9世紀〜13世紀後半 安史の乱〜宋):語り物の時代
 安史の乱以降、唐は威信を失い各地に軍閥が割拠する状態となる。軍閥はこの頃成長してきた商業勢力と結んでその経済力を背景に強力な支配を目指すようになった。安史の乱もウイグルの助けにより鎮圧できたわけであるが、これ以降中国は絶えず北方異民族の軍事的圧力に押される事になる。さて9世紀の李商隠「驕児詩」から子供にも「三国志」中人物のイメージが固まっていた事が知られ、この頃には語り物が出来ていた可能性がある。また唐末・五代戦乱期から口語による民衆向け演劇である雑劇が盛んになった。
 さて五代の戦乱を経て10世紀に中国を統一した宋は、北方の契丹族に絶えず悩まされながらも生産力向上を背景に経済的繁栄を遂げ、首都開封には人口が増大。都市民衆の生活が豊かになった事を繁栄してか子供向けの玩具が店に並ぶようになる。また街の人が集まる所には講談などの見世物が流行した。語り物は小説(恋愛物)や講史(軍記物)に分けられ、種本「話本」をもとに客の求めや場の雰囲気に応じながら臨機応変に語って場を盛り上げたのである。南宋時代には更に小説・説鉄騎(軍記物)・説経(仏教物)・講史と細かく分かれた。「説三分」(三国志演義の原型)・「大唐三蔵取経詩話」(西遊記の原型)・「包公案」(名裁判官・包拯の裁判話)・「花関索伝」(関羽の子・関索を主人公にした冒険物)が人気を得た。

○中期 (13世紀後半〜17世紀半ば 元・明):没落知識人の参入
 モンゴル民族により中国全土が征服されそれにより成立した元朝においては、科挙が当初停止されるなど知識人の政治参加の道が閉ざされ、彼等は演劇脚本を作るなど庶民文化に参加することで生計を立てるようになる。貨幣経済は引続き成長を続けていたため、都市民衆の娯楽消費も徐々に伸びていた。この頃の演劇は「元曲」と呼ばれ台詞と歌により話が進行し幕数は四幕・歌唱者は主役一人という制約の下で行われた。演劇は語り物と比べ視覚で捉えられるので理解しやすいこともあって広く人気があった。書生と遊女の時に滑稽な純愛を扱う話が一般に多かったようである。また語り物の話が多く演劇化された。知識人出身の脚本作家の代表と言われるのが王実甫で、元メu鶯々伝」と金代の語り物である董解元「董西廂」を基にして山西省の山寺を舞台に遊学書生と宰相の娘との純愛を描いた「西廂記」が代表作である。また関漢卿は、冤罪で刑死した女性の無念を扱う「竇娥冤」、「救風陣」、三国志の英雄関羽が主人公の「単刀会」で知られる。また漢代に絵師に賄賂を贈らなかったが為に匈奴に送られた美女王昭君の悲劇を扱う「漢宮秋」の作者馬致遠や豪傑を扱った高文喬もこの頃の作家である。13世紀末には白樸が楊貴妃に対する玄宗の愛を感傷的に歌い上げた「梧桐雨」を著し、14世紀前半には紀君洋が「趙氏孤覧」を書く。屠岸賈に一族悉く殺された趙氏の孤児が程嬰の助けで仇討をする話である。当時の語り物としては「三国志平話」が代表的だ。張飛の様な武勇に優れ愛嬌ある人物を主人公に荒唐無稽・奇想天外な話の筋で聴衆を喜ばせ徹底した因果応報で溜飲を下げさせる。他に「大宋宣和遺事」(水滸伝の原型)も人気を博した。また元末には絵付王朝史である「全朝平話」が成立、受験参考書の様な役割を果たす。
 モンゴルを万里の長城の北に追い出して成立した明においても知識人への弾圧が強力で、その政治参加は厳しい状況であった。そうした中、没落知識人は脚本だけでなく講談の筋書、それも荒筋に留まらず細部に至るまで己の知識人的好みを十分に反映させたものを書くようになる。特に歴史物に多くの作品が誕生した。15世紀末に羅貫中は「三国志演義」を作る。蜀を正統としてこれまでの語り物を正史と照合しながら編纂し、洗練された作品に仕上げた。また北宋末に梁山泊に拠った盗賊達の銘々伝を繋ぎ合わせ彼等の活躍を描いた「水滸伝」が登場。自分達の正義を掲げ腐敗した政府と戦う豪傑達に民衆は喝采する。また歴史上の英雄に擬した人物が豪傑として登場し戦いを交わすことで歴史上の英雄による夢の対決を「実現」した事も人気の一つだ。そして後半にはこれ等英雄達により北方異民族や秩序を乱す賊を破らせ聴衆の溜飲を下げさせている。この二作品の人気は高く、明末には水滸伝や三国志の英雄の名を自称する賊が後を絶たなかったほどである。宋代の王則の乱をネタに妖人や彼等の鎮圧を描く「平妖伝」もこの頃完成された。これは当初反乱に肯定的であったのを政府を憚って体制的視点に置き換えたものと考えられる。権力に反抗する豪傑の活躍も民衆の喜ぶものであるが、同時に政府に与して秩序を守る英雄達による勧善懲悪もまた古今を問わず好まれるのである。さて他に契丹戦の英雄・楊業一族の活躍を描いた「楊家将演義」、同じく狄青が主人公の「万花楼演義」、漢代の匈奴戦の英雄・李広を描く「李広伝」がある。これ等は北方遊牧民族の圧力に苦しめられた彼等の鬱憤晴らしと言える。また唐代の名将・薛仁貴が題材の「薛仁貴伝」、宋太祖の出世譚「飛龍伝」、「西漢演義」や「残唐五代史演義」がある。これ等は宋代の語り物にすでに原型が見られたのを更に磨きがかけられたのだ。聴衆の好みに合わせ求めに応じながら話が出来あがってきたため奇想天外な秘密兵器・因縁・神仙術が多く登場。英雄を超人化して敵を徹底的に叩きのめす見せ場が求められたのである。また「楊家将演義」の穆桂英や後の「説岳全伝」の梁紅玉といった戦う美女が持て囃された。面白い物では16世紀末の「西洋記」があり鄭和の大航海を基に異国武将や怪人が登場する異国情緒溢れた作品となっている。また17世紀に成立した「封神演義」は殷周の戦いを背景に仙人間の戦いを描いた作品で、後には神々に関する「知識」のもととなった。また「剪燈新話」「剪燈余話」など怪奇物も流行した。また「包公案」を原型に包拯を助ける侠客の活躍が加わった「三侠五義」も人気。玄奘がインドへ経典を学びに行った話が脚色され猿の孫悟空が活躍を描くようになった「西遊記」も当時の作品だ。神仏の計らいによる予定調和的な試練を仏の助けを借りながら旅していく話である(因みに人民中国時代に入り孫悟空は「階級闘争のヒーロー」として強い主人公となり面白さが増したと言う)。また笑々生「金瓶梅」も17世紀初頭に成立。「水滸伝」中のエピソードを題材にとり、大商人西門慶を主人公にして様々な女達との情交を中心に様々な欲望を微に入り細を穿つ描写で表した愛欲小説である。この頃の演劇として、元曲に代わり幕数無制限・役者全員が歌うという自由な形式の南戯が主流となった。14世紀後半に高明「琵琶記」が成立、16世紀の湯顕祖の「還魂記」「邯鄲記」も有名だ。「還魂記」は地方太守の娘が夢で青年と契り彼に恋い焦れて死ぬが青年の愛によって甦り結ばれるというもので、「邯鄲記」は栄華の生涯を送る夢から覚めて人生の儚さを知る話である。

○後期 (17世紀半ば〜20世紀初頭 清):爛熟の時代
 17世紀に満州族が中国を征服し清を建国。この時代も経済の成長は続いており、知識人が物語製作に当る状況は同じであった。例えば18世紀後半の曹雪芹「紅楼夢」は、名門賈家を舞台に才気溢れ洗練された世界を描いている。賈宝玉と林黛玉の友人以上恋人未満の関係を中心に様々な少女達を絡めて物語は進むが結末として賈家は没落の道を辿り宝玉は意に添わぬ結婚をし黛玉は失意の内に病死する。特に19世紀に入ってから「紅楼夢」人気は絶大で、人形や印・酒杯といった多様な関連商品展開が行われた。またヒロイン黛玉の位牌を祭りやがて林黛玉達のいる天界に行くと言って行方不明になる者や空想で黛玉に我が身を重ね合せ彼女の不幸を共有しようと病床に付す者、悲恋に終わった宝玉・黛玉の二人が無事結ばれる結末になるよう素人小説を著す者などが続出。彼等熱狂的ファンは「紅迷」と呼ばれる。また知識人の中には「紅楼夢」のモデルや作者の来歴などを研究することが流行。17世紀末の蒲松齢「聊斎志異」は、様々な類の不思議な話を集めた物である。従来から存在した怪奇話集の集大成といわれ、これまでの様な異類から被害を受けたり異類を退治したりというのとは異なり全体的に異類を受け入れる姿勢が見られると言う。18世紀半ばの呉敬梓「儒林外史」は形式化した科挙を皮肉り様々な人物の悲喜交々を庶民の眼差しも含めて描き出している。また歴史小説も引続き磨きがかけられていた。17世紀末には「説唐全伝」、18世紀前半には「隋唐演義」が登場、また銭彩が「説岳全伝」を完成させたのもこの時期である。南宋時代に対女真族(金)戦で活躍するが政府に疑われ非業の最後を遂げた民族英雄・岳飛の一代記は南宋期から作り出されていたが、そうした話を編纂・脚色した物である。「水滸伝」中の英雄も登場して共に戦っている所からも民衆の要望に応じて話が作られてきた事が伺えよう。17世紀には評論家として知られた李漁が明快な性小説「肉蒲団」をものした。しかし、やがてネタが出尽くしたのか大きな人気を呼ぶ新作は生まれにくくなり、これまでの作品を題材にした続編作成が中心となっていく。「西遊記」をネタにした物には時間を超えて孫悟空らが活躍する「西遊補」や次世代の活躍を描く「後西遊記」、帰り道での冒険を扱う「続西遊記」がある。「三侠五義」系では「小五義」「続小五義」。また「水滸伝」を基にしたものとして生き残った英雄達が南国で一旗挙げる「水滸後伝」、梁山泊が国に忠義を尽す英雄達により鎮圧される「蕩寇志」(この頃の「水滸伝」は後半が割愛されて伝わっており梁山泊は賊のままで話は終わっていた)が知られる。この頃。出版基が様々に工夫を凝らして販売競争を繰広げていた。物語の回数を削ってコンパクトに纏めたり逆に回数を増やしたり、また「三国志演義」「水滸伝」を一冊セットにして販売するなど。こうした風潮の中で、多様なグッズ展開も行われるようになる。前述の様な人形・印・杯の他に、歴史物の英雄を中心として年画が売れた。また物語本の挿絵としても版画が載せられるようになり、「紅楼夢」などの挿絵を描いた改gは美人画家として有名だ。この頃には演劇は民衆に更に普及し居酒屋、後に喫茶店に併設された劇場で行われるようになった。17世紀後半には玄宗と楊貴妃の愛を扱った洪昇「長生殿」や侯方域と李香君の恋愛を軸に明朝残党の推移を描いた孔尚任「桃花扇」、李漁「凰求鳳」が知られる。演劇は客の要望もあって悲劇的結末を避ける傾向があり、恋愛物では「琵琶記」の二人・「凰求鳳」の三人のように主人公と関連した女性達が全員結ばれるという形で大団円を迎える結末が多かった。演劇における当時の展開としては京劇の登場が挙げられる。18世紀末に乾隆帝80歳の誕生祝として安徽省の演劇を基に演じられたのがその始まりである。演技は歌・仕草・台詞・立回りからなり、役者は主役・女役・豪傑及び敵役・道化役に大別される。化粧・衣裳・発声・仕草は役柄により決められており、一目で人物の性格・善悪が分かるようになっている。大道具は用いず仕草・古道具で感情や場面が表現される。演目は従来の伝説・小説・歴史から取られ、「白蛇伝」「覇王別姫」「貴妃酔酒」「赤壁之戦」などが知られる。さて、19世紀以降にもかつてほどの活気はないものの新作は登場していた。19世紀半ばに文康が「児女英雄伝」を著した。安驥とヒロイン十三妹の冒険と安驥の科挙合格を描いたものである。キャラクターの好人物さが魅力ではあるが、「紅楼夢」の流行に危機感を抱き聖賢の道に合った物語を書こうと筆をとったという事から分かるように、「優等生」である点が物語の活力を殺いでいる。兪万春が「水滸伝」の無法さに憤って前述の「蕩寇志」を書いたのもこの頃であるから、時代の風潮であったのかも知れぬ。この頃、李汝珍が「鏡花縁」を著す。花の神が地上に下って百人の才女となり女帝則天武后を補佐すると言う基本設定で、特に才女の一人唐閨臣の父・唐敖が「ガリバー旅行記」の様に色々な変わった国を旅する所は社会風刺として有名だ。19世紀末には、租界として急速に発展した上海を舞台に花柳界やそこで身を持ち崩す主人公達を描く韓邦慶「海上花列伝」が出る。また19世紀末の李宝嘉「官場現形記」や20世紀初頭の劉鶚「老残遊記」など旧態依然たる役人を非難する小説も登場。近代化した西洋諸国が中国に野心を燃やす中で人々は時代の閉塞性を感じていたのだ。

(4)近代(19世紀半ば〜20世紀半ば アヘン戦争〜第二次大戦):映画の登場
 19世紀にアヘン戦争などにより西欧の圧倒的な軍事力に直面した中国において、西洋の技術を習得しようと努力が成されはしたが産業革命のための条件が整わず、欧米や後には日本によって分割される危機に陥った。こうした時期に西洋の機械文明が流入した点では娯楽文化においても例外ではない。1896年には租界として外国人の多く集まる上海で、盛り場での見世物として始めて映画が上映された。1905年には北京写真館で京劇実写映画「定軍山」が撮影された。中国人の手による初めての映画である。13年には張石川・鄭正秋により初の短編劇映画「難夫難妻」が、21年には但杜宇「海誓」など幾つかの長編が登場。22年には初の映画雑誌「影戯雑誌」や映画会社「明星影片股?有限公司」が設立された。23年に張石川「孤児救祖記」がヒットし、25年には邵酔翁らがショウ・ブラザーズの前身「天一影片公司」を設立。また28年にシリーズとなる明星「火焼紅蓮寺」が登場、武侠ブームを巻き起こした。演劇より客を多数動員できる新しい娯楽産業として映画は定着し始めたのである。30年には「聯華」が設立され孫瑜「故都春夢」が大人気。以降、程歩高「狂流」「春蚕」や張石川「化粧品売場」(どれも32年)などリアリズムに即した社会派映画や青春映画を多く作るようになる。また同じ年、中国初のトーキー映画「歌女紅牡丹」を張石川が出した。この年、国民党政府が「映画演劇審査委員会」を発足させ映画も政府の管理を受けるようになる。また30年代は上海を中心に外国映画が流入、魯迅が「ターザン」シリーズを好んで見た事は知られている。また人気女優阮玲玉など映画界にスターが誕生したのもこの頃からだ。また蔡楚生「漁光曲」(34年)や馬徐維邦による怪奇映画「深夜の歌声」、袁牧之「街角の天使」や沈西苓「十字路」(三作とも37年)など人気作が続出。当時は日本との軍事対立が激しかった事もあり、36年には国防映画として費穆「狼山喋血記」や史東山「青年行進曲」が登場する。37年に日中戦争が勃発すると映画製作は下火になるが、38年「八百壮士」や39年の袁牧之「延安と八路軍」など抗日プロバガンダ映画が作成された。一方、日本が設立した汪兆銘政権の下で川喜多長政らの「中華電影公司」が設立されト万蒼「木蘭従軍」(39年)や「蝴蝶夫人」「寒山夜雨」(42年)「良宵花弄月」(43年)など様々な作品が作られた。41年には初のアニメ作品である万籟鳴・万古蟾「怪物・鉄扇公主」が「西遊記」をテーマとして作成されている。また香港(97年まで英領)へ難を逃れた映画人も多く、そこで38年「貂蝉」や41年のアニメ作品「老笨狗餓肚記」が作られている。香港でも1900年頃に映画が伝わってはいたが、作成が本格化したのはこの頃である。また映画以外では戦中期に張楽平が台詞なし絵のみの漫画で孤児の苦労や抗日軍での活躍を描いた「三毛放浪記」をヒットさせたことが特筆される。

(5)現代(20世紀半ば〜 大戦後):現代文化の展開
十数年に及んだ戦争が終わり、数年間は解放感の中で映画作成が行われた。桑孤「奥様万歳」・黄佐臨「偽物同士」(共に47年)など都会的な喜劇や蔡楚生・鄭君里「春の河、東へ流る」(47年)、鄭君里「カラスとスズメ」(49年)などリアリズム的作品が登場している。しかし再び国共内戦が起こり共産党の勝利に終わって49年に中華人民共和国が成立すると、文化的圧力も大きく多くの映画人が再び香港へ逃げる。北京政府は文化省の下に映画局を設け映画管理を行った。翌年にはアメリカ映画が禁止され代わってソ連映画が流入。53年には国有化が完成、時期により程度の相違はあるが孫瑜「武訓伝」などが批判を受けたように基本的には国家の介入を受けていた。そこで監督達は文学を映画化し表現欲を昇華させる状況だったという。61年から始まった文化大革命では、多くの映画人が自己批判や思想改造の対象となり蔡楚生・鄭君里らのように迫害死する者もいた。70年代には現代京劇など「革命模範劇」の映画化が提唱され謝鉄驪「智取威虎山」などが登場、また「火紅的年代」といった階級闘争を図式化する映画も多く作られた。78年にケ小平が復権し開放路線を打ち出すに至って外国映画輸入が解禁、過去の作品再上映や欧米・日本映画公開が行われた。「さらば、わが愛/覇王別姫」で知られる陳凱歌や田壮壮・張軍サといった国際的名声を受ける監督も現れる。97年の謝晋「アヘン戦争」は多くの中国人の愛国心を高揚させ、また99年には張楊の恋愛映画「スパイシー・ラブスープ」は同年の米国映画「タイタニック」に匹敵する観客動員を誇った。さて、ここで香港映画の展開についても述べよう。日中戦争や国共内戦、人民中国成立により多くの映画人が流れ込んで「大中華」やハリウッド形式の「永華」といった会社も設立された。49年からはカンフーによる格闘物「黄飛鴻伝」シリーズが始まり、60年には「千媚百媚」が、63年には「梁山泊與祝英台」がヒットした。また56年にMP&GI、57年にショウ・ブラザーズが設立。そうした中、数々の人気監督や俳優が登場する。キン・フー監督は66年に武侠映画「大酔侠」でそして68年に「龍門客桟」で成功、71年にはカンフー映画「ドラゴン危機一髪」でブルース・リーが世界的スターとなった。楚原監督も72年の「愛奴」や73年の「七十二家房客」でヒットを飛ばす。そしてマイケル・ホイは74年「Mr.BOO!ギャンブル大将」を皮切りに喜劇映画で成功していく。78年「スネーキーモンキー/蛇拳」「ドランクモンキー/酔拳」でスターとなったジャッキー・チェンはブルース・リー亡き後のカンフー映画の立役者となった。70年代には欧米の手法を学んだ新世代が登場、王家衛の恋愛映画「恋する惑星」や陳可辛「ラブソング」は国際的評価を受けた。90年代以降、香港映画はハリウッド映画に押されぎみである。映画以外の分野でも当然展開はあった。一頁に数コマの絵と文が載せられた豆本である連環画は漫画のように読まれ人気があり、古典小説や近代文学・映画やテレビドラマを題材としていた。しかしテレビの普及と共に姿を消していった。前近代以来の作品は依然として人気がありテレビドラマ化され、トランプなどグッズ展開も好調であるという。歌謡ではテレサ・テンが著名である。国共内戦に敗れ台湾に逃れた国民党政権の下で、彼女は北京語の「国語歌謡曲」を歌う。「何日君再来」など大陸への郷愁を込めた彼女の歌は台湾に逃れた大陸人のみならず大陸での出稼ぎ・移民といった根無し草の境遇に置かれた人々からも強い共感を受けた。また言語的に幅広く歌ったため日本や東南アジアなど外国でも人気があった。90年代には中国でも日本などから様々な娯楽文化が流入。香港などでは中国人による人気漫画も誕生。またゲーム作成もKINGSOFTの「抗日地雷戦」(98年)や「決戦朝鮮」(99年)、Charge Entertainmentの「三国覇業」「成吉思汗」といった歴史物を中心に行われている。前近代の語り物の伝統を受継ぎ新兵器導入など荒唐無稽さが魅力となっているようだ。こうした文化が今後どの様な展開をするのか興味ある所である。

(6)おわりに
 「日本」に引続き変なレジュメになってしまった。では、変ついでにあと二つ行きます。


参考文献
中国史(上)(下) 宮崎市定 岩波書店 
中国の歴史(上)(中)(下) 貝塚茂樹 岩波文庫
万里の長城中国小史 植村清二 中公文庫 
新修国語総覧 京都書房
科挙 宮崎市定 中公文庫 
風土 和辻哲郎著 岩波文庫
サブカルチャー世界遺産 サブカルチャー世界遺産選定委員会編 扶桑社
週間朝日百科世界の文学106西遊記・封神演義… 朝日新聞社
週間朝日百科世界の文学107三国志演義・水滸伝… 朝日新聞社
週間朝日百科世界の文学108紅楼夢・金瓶梅・儒林外史・聊斎志異… 朝日新聞社
水滸伝好漢FILE シブサワ・コウ KOEI 
ENCARTA百科事典2000 Microsoft
マイペディア99 日立デジタル平凡社 
仙界とポルノグラフィー 中野美代子 河出文庫
カニバリズム論 中野美代子 福武文庫 
西遊記の秘密 中野美代子 福武文庫
中国武将列伝(上)(下) 田中芳樹 中央公論社 
と学界年鑑2001 と学界編 太田出版
酒池肉林 井波律子 講談社現代新書 
三国志演義 井波律子 岩波新書
金瓶梅 日下翠著 中公新書 
水滸伝 宮崎市定 中公文庫
現代中国文化探検 藤井省三著 岩波新書 
恋の中国文明史 張競 ちくまライブラリー
中国庶民生活図引遊 島尾伸三・潮田登久子 弘文堂
アジアのマンガ 小野耕世 大修館書店 
アジア映画小事典 佐藤忠男 三一書房
世界の歴史7宋と中央ユーラシア 伊原弘/梅村坦 中央公論社
世界の歴史12明清と李朝の時代 岸本美緒/宮嶋博史 中央公論社
中国古典文学大系8抱朴子・列仙伝・神仙伝・山海経 平凡社
中国古典文学大系9世説新語・顔氏家訓 平凡社
中国古典文学大系25宋・元・明通俗小説選 平凡社
中国古典文学大系31西遊記上 平凡社 
中国古典文学大系33金瓶梅上 平凡社
中国古典文学大系36平妖伝 平凡社 
中国古典文学大系37今古奇観上 平凡社
中国古典文学大系38今古奇観下・嬌紅記 平凡社
中国古典文学大系40聊斎志異上 平凡社
中国古典文学大系39剪燈新話・剪燈余話・西湖佳話・棠陰比事 平凡社
中国古典文学大系43儒林外史 平凡社 
中国古典文学大系44紅楼夢 平凡社
中国古典文学大系47児女英雄伝 平凡社 
中国古典文学大系48三侠五義 平凡社
中国古典文学大系49海上花列伝 平凡社 
中国古典文学大系50官場現形記上 平凡社
中国古典文学大系51官場現形記下・老残遊記 平凡社
中国古典文学大系52戯曲集上 平凡社
中国古典文学大系53戯曲集下 平凡社
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