2002年6月14日
インド民衆文化史  NF


はじめに
 このレジュメではインド民衆文化の歴史について概観する。
前史
古代(紀元前1800〜7世紀頃 インダス文明〜ヴァルダナ朝)
 インドでは古くからインダス流域で都市文明が築かれ、紀元前1800年ごろにアーリア人が侵入し部族を中心とする社会の下で定住し先住民と融合しインドに定着していった。紀元前七世紀ごろには強力な領域国家が成立して抗争を繰り返し紀元前5世紀にはマウリヤ朝により統一される。当初は聖職者(バラモン)を中心に神々への賛歌である数々の「ヴェーダ」が作られた。やがて強大な国家が成立する中で世俗豪族勢力が力をつけ、彼等が文化の主導権を握るようになる。マハーヴィーラによるジャイナ教や仏陀による仏教がその一例である。また3世紀にラーマ王子が魔物との戦いの末に妻を救出するという叙事詩「ラーマーヤナ」が、5世紀初頭には王家の二系統による凄惨な戦いとその大きな犠牲への嘆きと悔悟を描いた「マハーバーラタ」が成立していた。これ等の二作品は戦・恋・冒険など多くの娯楽要素が同時に含まれており、現代に至るまで多くの改作が作られ演劇の題材となっている。
中世(5世紀頃〜11世紀 マウリヤ朝末期〜ラージプート)
 紀元前3世紀、マウリヤ朝の末から豪族による分裂傾向がインドでは見られたが、1世紀のクシャーナ朝や4世紀〜6世紀のグプタ朝の様な広い領域を持つ国家がそれでもしばらくは存在した。しかし豪族による割拠や異民族の侵入が相継ぎ、7世紀半ばのヴァルダナ朝を最後にインドは長く統一的な国家を持つ事がなく、ラージプート族に代表されるような小政権による分裂状況に入った。中世の開幕である。この時代には宗教的必要性よりも宮廷詩人が貴族の娯楽として詩や戯曲を作るようになっていた。例えばカーヴィヤと呼ばれる陶酔的な美文で描かれた詩・戯曲が作られる様になる。1・2世紀に活躍したクシャーナ朝の宮廷詩人アシュヴァゴーシャは「ブッダ・チャリタ」や「サウンダラナンダ」といった仏教叙事詩や戯曲を作成している。他にはマートリチェータやアーリヤシューラといった仏教詩人や平明な文体の戯曲「夢のヴァーサヴァダッタ」で知られるバーサが著名だ。シュードラカ「ムリッチャカティカー」は恋愛劇・社会劇として知られている。彼等の中で最も有名なのが5世紀にグプタ朝の宮廷詩人として活動したカーリダーサだ。シヴァ神と妃パールヴァとの恋愛を描いた叙事詩「クマーラサンバヴァ」や「ラーマーヤナ」から題材をとりラーマの王家の系譜を描いた「ラグヴァンシャ」、流罪となった夜叉が妻への思いを詠んだという設定の「メーガドゥータ」が作品として知られる。そしてドゥフシャンタ王とカーリダーサとの恋愛とその後の悶着・悪魔との戦いを描いた戯曲「シャクンタラー」やプルーラヴァス王と天女ウルヴァシーの恋物語「ヴィクラモールヴァシーヤ」、宮廷での恋愛を扱う「マーラヴィカーとアグニミトラ」といった恋愛劇も著名だ。またヴァルダナ朝のハルシャ王は鳥に食い尽される蛇族を救うため自らを犠牲にした菩薩を主人公にした「ナーガーナンダ」や宮廷恋愛が題材の「ラトナーヴァリー」といった戯曲を自ら著している。8世紀のバヴァブーティは恋愛劇「マーラティとマーダヴァ」や、「ラーマーヤナ」を題材とした「マハーヴィーラチャリタ」「ウッタララーマチャリタ」を技巧的な文体で著した事で知られる。6世紀頃から技巧優先の傾向が強くなり、中でもバーラヴィやマーガは複雑な技巧を駆使した詩を作った。また6世紀のバルトリハリ、7世紀のアマル、11世紀のビルハナは優美な恋愛詩で有名だ。他には「パンチャタントラ」や10世紀の「ヒトーパデーシャ」、11世紀の「カターサリットサーガラ」といった物語もこの頃の宮廷文学の所産である。そして12世紀末にはイスラム勢力と戦った悲劇の王を主人公に戦と恋の物語を描いたチャンド・バルダーイー「プリトヴィーラージ・ラーソー」がヒンディー語で書かれている。これは中世的英雄であるラージプートの物語であり日本の「平家物語」や西洋の「ローランの歌」と通じるものがある。
近世
前期(12世紀〜14世紀半 イスラム勢力の進入):民衆宗教詩の時代
 イスラムとの交流が11世紀頃から始まり、インドの生産力向上やイスラム商人が活躍する関係もあって商業が盛んになっていく。12世紀にゴール朝がインドに侵入したのを皮切りにイスラムによるインド支配が始まり、デリー・スルタン王朝が商業と結んで専制国家を建設し広大な領域を支配する。そうした中で、社会的実力を付け始めた民衆に神々への信仰の中心は移り、論議・儀礼を事とした教えから身近なものへと宗教の姿は変わっていく。そして人の姿をとって現れた神に捧げ物をし神を称え自我を捨てて神と一体化するバクティが広まった。その形成においてはイスラムにおけるスーフィズムからも小さからぬ影響を受けたであろう。13世紀にでたジュニャーネーシュヴァルは聖典「バガヴァッド・ギーター」の教えを一般民衆にも分かりやすい喩えを用い美しい詩の形で注釈した「ジュニャーネーシュヴァリー」を著した。同様に14世紀初頭にはナームデーヴが「ナームデーブ・ガーター」を出している。彼等は共に庶民の家に生まれマラーティー語で神への信仰を歌い上げたのである。他にベンガル語においてもクリシュナ信仰と共に詩が展開された。
中期(14世紀半〜17世紀 ムガル帝国):民衆による物語
 14世紀中頃にはデリー・スルタン朝の衰退もあり分裂するインドにバーブル率いるムガルが侵入、三代目アクバルにより支配が確立しこのムガル帝国によりインドはほぼ統一される。バクティは益々盛んになり、各種の言語で神々を称える詩が作られた。ヒンディー語では16世紀にクリシュナを称えたスールダース、王子ラーマを称える「ラーム・チャリト・マーナス」を著したトゥルスィーダースといった詩人が登場。彼等の詩は祭での舞踏劇・野外劇で朗唱された。これ等の劇は歌・踊りを中心に観客を陶酔させるものとなる。特に南インドのカターカリやヤクシャガーナが著名でこれらは男性のみで誇張的な演技により演じられるのだ。ベンガル語でもボルゥ・チョンディダシュ「クリシュナ神賛歌」や、クリシュナとラーダーとの恋愛を題材に歌を作るヴィデヤーパティの作品が愛好された。やがて16・17世紀では村レベルの神々への賛歌も多く作られるようになり18世紀には官能的霊験詩が増加した。マラーティー語でも16世紀にエークナートが詩や注釈の他、宗教的教訓を含んだ滑稽劇バールールの脚本を多数書いている。他には17世紀のトゥカーラームやラームダースが宗教詩人として名高い。
後期(18世紀 インド再分裂):イスラム文学の興隆
18世紀にはムガル帝国の支配力が衰え再びインドは地方豪族たちによる分裂に入っていた。そうした中、「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」といった古典文学を題材に物語を作る従来の形式は依然続けられたが、イスラムによる文化も次第に伸びていきインダス流域の庶民に用いられたウルドゥー語でミールやガーリブに代表される詩人たちによって恋愛詩が多く作られるようになる。ただの恋愛詩ではなくアッラーへの恋慕の情が込められ哀愁を帯びた詩である。国が衰退しているのを背景に神または恋人への思慕という幻想的な世界に耽ったものであろうか。
近代(19世紀〜20世紀半 イギリス支配):近代西洋文化の流入
 分裂に入っていたインドにイギリスが進出、圧倒的な軍事力・支配力を背景に19世紀には全インドを植民地とした。そうした中、ボンベイにイギリスの手を経てシネマトグラフが伝わるのは1896年。その後記録映画の製作をへて1912年から劇映画製作が開始された。第一作を手がけたのはダーダーサーヘブ・ファールケー。イギリスに渡り映画技術を学んで家族や親族の助けをかり映画製作に着手し、翌年に「ハリシュチャンドラ王」を封切る。「マハーバーラタ」の一エピソードにもとづいたこの作品は大人気を博し、これ以降はそれまで演劇で演じられてきた神話や古典文学・民間説話が格好の題材として映画化されることになった。最先端の特撮を使用して神が変身したり水中で水蛇と戦う場面を撮影し、観客を熱狂させたのである。やがてカルカッタやマドラスでも映画製作が開始され、映画館もできた。1931年にトーキーになると、インド各地で異なる言語の映画が製作されると共に映画が伝統演劇のスタイルを完全に継承。歌と踊りが必ず入るようになり「ミュージカル」となる。更に形式では恋・冒険・笑い・涙・スリル・サスペンスを含めた賑やかなハッピーエンドが定着。そして演技の上で「ナヴァ・ラサ」(色気・笑い・哀れ・怒り・勇猛さ・恐怖・憎悪・驚き・平安)という古典演劇での感情表現法が採用された。観客は主人公が登場すると拍手をし、笑うべき所では大声で笑う。これら全ては演劇と基本的に同じ態度である。こうした映画は娯楽要素をスパイスにたとえ「マサラ映画」とよばれている。映画は、演劇同様に視覚に訴えるため物語の語りより分かり易くしかも一度に演劇より遥かに多くの人が楽しめる娯楽として広がっていった。
現代(20世紀後半〜):インド映画の発展
 第二次大戦の後、インドはガンジーやネルー、ボースらの長年の活動もあってヒンズー教の多い地域とイスラム教の多い地域とに分裂はしたが政治的独立を達成。しかし経済的には貧困を極め、民族・宗教対立が深刻な問題となっていた。そうした中での民衆の心を慰める娯楽が映画である。この頃にはサタジット・レイ「大地のうた」に代表される芸術映画も現れ始めアラビンダンなどの監督が育っているが、やはりインド映画の中心はマサラ映画であった。そこからラジニカーントやカマラハーサンといった人気俳優も登場。中でも92年の「ラジュー出世する」や95年の「ムトゥ踊るマハラジャ」「インドの仕置き人」は日本でも公開され良く知られている。中でも「ムトゥ」は恋・笑い・涙・格闘・チェイス・舞踊など観客が喜ぶ要素を全て詰め込んだ作品と評価されている。また宗教対立という深刻なテーマを扱ったマニラトラム監督の「ボンベイ」でも歌・踊りを取り入れた「マサラ」な要素が強い。またこうした映画での音楽は一本当り6〜7曲入っており歌謡曲としても人気音楽と言えば映画音楽という状況を生出している。現在、インドは年間約800本の映画を製作する世界最大の映画大国となっており、中東を始め海外にもその作品は広がっているのである。映画の他にも、テレビドラマで神話・古典文学が扱われ人気を得ている。その世間への影響力は大きく、神の役を演じる俳優が現実生活でも神としての行動を期待されるほどだ。アマル・チトラ・カターという漫画も神話・伝説を題材に描かれ、映画監督アラビンダンも漫画家としての顔を持っているという。またサタジット・レイの「黄金の城塞」「消えた象神」など探偵物語やアルプ・クマル・ダッタの「密猟者を追え」「盲目の目撃者」といった冒険物語に代表される児童文学も現れている。しかしインドの識字率が50%強である現状ではこれらが多くの人の手に届くことができない。人々が最低限の娯楽を楽しめるだけの知識が得られるよう教育の普及が急務である。
おわりに
 週間朝日百科にかなり頼って作った。とにかくデータがないね。


参考文献
インドの歴史新書東洋史6 近藤治 講談社現代新書 インド・アラビア・ペルシア集 筑摩書房
サブカルチャー世界遺産 サブカルチャー世界遺産選定委員会編 扶桑社
週間朝日百科世界の文学115インドの文学T 朝日新聞社 風土 和辻哲郎著 岩波文庫
週間朝日百科世界の文学116インドの文学U 朝日新聞社 ENCARTA百科事典2000 Microsoft
週間朝日百科世界の文学118コーラン、アラビアン・ナイト… 朝日新聞社
ムトゥ踊るマハラジャのすべて 江戸木純著 ジャパン・ミックス
ヒンドゥー教 クシティ・モーハン・セーン 中川正生訳 講談社現代新書
いまアジアが面白い 小野耕世 晶文社 マサラムービー物語 野火杏子 出帆新社


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