2002年6月14日
イスラム民衆文化史  NF


はじめに
 イスラム圏はユダヤ教系一神教と言う事からも分かるように西洋文化圏に属するのであるが、一度は世界に覇を唱えた事に敬意を表して、そして「西洋民衆文化史」で外れる恐れがあることから今回特別に独立させて扱う。イスラムと言っても範囲が広く他の文明圏と重複する所が大きい。そこで今回はアラブ・イラン・トルコに的を絞る。
前史
古代(オリエント文明〜ローマ・ササン朝)
地中海周辺地域には古くからエジプト・メソポタミアといった文明が生まれ、アケメネス朝ペルシアがこれ等を統一。アケメネス朝もアレクサンドロスによって征服されヘレニズム諸国が成立し、ローマによって結局吸収された。一方でイラン・メオポタミアはパルティアやそれを受継いだササン朝が領有しローマやビザンチンと激しく抗争。こうした経緯の中、これ等の地域には早くから高度な文化が栄えたが、純粋な娯楽としての都市文化の成立はもう少し後の事である。
中世(5世紀半〜9世紀前 ジャーヒリーヤ〜アッバース朝全盛)
 アラビア半島は古くから遊牧を営む北部と農耕を行い海洋貿易で利益を得る南部に分かれていた。5世紀頃には遊牧民が多くの部族に分かれて争うようになると共にメッカに代表される都市が陸上交通で結ばれ交易で栄える状況が出来た。この時期、上流部族戦士の間では詩が重んじられ、自らの正統性を唱える手段とされた。このため、技巧を重んじる定型詩カスィーダの原型がこの頃に形作られる事になる。当時の主な題材としては部族間の抗争の中で生まれたものである事から賞賛・風刺・追悼が多く8世紀に「アル・ムアッカラート」「アル・ムブダリャート」に纏められている。中でも6世紀の戦士アンタラによる恋愛詩が有名。7世紀中頃にムハンマドが現れ唯一神アッラーの名の下にアラビアの部族や地方政権を盟約と言う形で支配化に収め緩やかな政治連合を形成、イスラムの歴史が幕を開ける。ムハンマドの死後も宗教的指導者カリフがそれを引き継いで他の「預言者」を打倒しアラビアを再統一、イスラム勢力は機動性の高い遊牧戦士を用いアラビアの外へ進出を始める。その中で中央政権と戦士勢力は給与の他に土地の給付を通じて結び付いていた。社会には分裂傾向が根強く、三代目カリフ・ウスマーンの頃から中央政権の力を強める動きに反発する形で反乱が相継ぐ。その後アリー時代を経てウマイヤ朝時代に君主制が成立しても地域連合体としての性格が濃厚で分裂がしばしばであった。8世紀中頃にアッバース朝が取って代る頃には首都バグダッドは世界的大都市となる。「知恵の館」を設けてギリシアの医学・哲学などを積極的に吸収したのもこの頃。この時期、都市の上級階層によりカスィーダが発展。7世紀後半から8世紀初頭には神を称える詩や、政治的抗争が相継いだ事から政治詩が盛んで「ナカーイド」に纏められた。そうした中、7世紀にウマル・ブヌ・アビー・ラビーアが都市的な洗練された恋愛詩を作る。アル・アフタル、アル・ファウスダタ、ジャリールも同時期の詩人として著名だ。8世紀後半にはアブー・ヌワースが酒・同性愛・風刺の詩で知られ、10世紀のアル・ムタナッビーによりカスィーダは完成されたとされる。8世紀頃から技巧的散文も発達し、アブド・アル・アーミードやイブン・アル・ムカッファウ「カリーラとジャムナ」、9世紀のアル・ジャーヒズが知られている。
近世
前期(9世紀〜10世紀 アッバース朝衰退〜セルジューク朝・ファーティマ朝)
 アッバース朝においても分裂傾向は強く、その支配力が衰えるにつれて地方に軍事政権が独立していく。こうした中、アッバース朝を始めとする諸政権は商業発展による経済力を背景に奴隷兵(傭兵的性格が強い)マムルークを軍事力として採用するようになり、支配力の強い政権が形成されていく。この頃、インドから伝来した物語やアラブ古来の話が纏められ、9世紀頃から「千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)」の原型が形成され始めた。ここには女性不信のため一夜毎に后達を殺してゆく王に、ある妃が一夜づつ面白い物語を語ることで生き延びて最後には正式に王妃となるという設定の下で様々な物語が収められている。現在の形が完成した19世紀まで、都市などの民衆の間で好まれた話が次々に加えられる。これ等の話は恋愛・犯罪・旅先の不思議話・御伽噺・知恵に分類される。そして例えば恋愛話は更に砂漠戦士の恋・都市貴族の純愛・軽薄な恋物語がある。人の集まる街角で講釈師によって次第に話は膨らみ消費者も広まっていく。イランでは宮廷詩人フェルドウシーによってペルシア語でペルシア王の事跡を述べた「シャー・ナーメ」が作られ、イラン民衆に愛唱される。文化の主役は民衆に移りつつあったのである。
中期(11世紀〜16世紀 イル・ハン国、アイユーブ朝・マムルーク朝)
 しばらく激しい軍事的抗争が継続したが、やがて十字軍・モンゴルの侵入に対抗する中で政権の支配が強まりエジプト・シリア・アラビア半島のアイユーブ朝やマムルーク朝、イラン・イラク地域のイル・ハン国やチムール朝、小アジアのオスマン朝とそれぞれの地域に比較的安定した政権が成立。この頃、都市はますます発展を遂げ公共浴場やコーヒーハウスが人々の社交場でしばしば物語にも描かれ、特にコーヒーハウスでは語り物が催される事もあった。そうした中、民衆の間で英雄物語が流行し人々の血を騒がせた。11〜12世紀には、十字軍をテーマにした「ザート・アル・ヒンマ王女物語」や北アフリカに移動した部族の話である「バヌー・ヒラール物語」、戦士アンタラが主人公の「アンタル物語」が成立。15世紀頃には、イエメンの王子の活躍をテーマにした「サイフ・ブヌ・ズィー・ヤザン物語」や十字軍と戦ったマムルーク朝スルタンを扱った「バイバルス物語」が人気を得た。また恋愛物語も人気があり美しい女奴隷と商人の子の恋を描いた「バヤードとリヤードの物語」が知られる。11世紀の「マカーマート」は弁舌に長けた小悪党アブー・ザイドが主役の犯罪物語であった。またジュハーというキャラクターが数々の笑話の主人公として登場し、常識的価値観を覆した言動で聴衆を楽しませたのである。
後期(16世紀〜18世紀 オスマン朝・サファヴィー朝)
 マムルークの普及の中でトルコ人が10世紀頃からイスラム世界の中でも大きな地位を占めるようになり彼等により多くの政権が作られたが、その中で最も強力なのがオスマン朝であった。16世紀にはセリム1世・スレイマン1世により地中海・アラブ世界の大部分を支配化に治めた。イランではサファヴィー朝はこれに対抗し、イスラム世界は安定した支配体制の下に置かれた。寄席では物語や笑話などの話芸・影絵芝居・動物使い・格闘・曲芸・道化などで客を呼んでいた。この頃、新しい物語の誕生は余り見られない。これまで成立した作品が中心に楽しまれ、時には聴衆の好みに応じて改変されたりしたのであろう。影絵芝居では逞しい庶民の典型とも言えるカラギョズとエリートのハジットの掛合いが好まれた。影絵芝居は日常を滑稽に描き時には官能的な題材も採用し様々な人物を戯画化した。他にオルタオユヌという即興劇も人気であった。この頃は地方にも文化が波及し、村芝居や「オグズ・ナーメ」に纏められた吟遊詩人による恋愛・戦物語が好まれた。
近現代(19世紀〜)
 17世紀末辺りから産業革命を経た西ヨーロッパの圧倒的な軍事力に直面、次第に軍事的に制圧されていき利権を握られる。そうした中でヨーロッパ化して追い付こうとする運動と「イスラム本来の教え」に「回帰」しようという動きの二つが力を持ってくる。20世紀の二つの世界大戦を経て政治的独立を回復した後も、アメリカの影響を受ける流れと経済的貧困に悩む地域を中心にそれに反発する流れは続いており、これらは時に民族運動とも結び付いて紛争の一因となっている。こうした中、現代においてのイスラムでの最大の娯楽は映画である。エジプトは年間100本とイスラム圏最大の映画供給国でありその作品はアラブ諸国に供給されている。1946年には「アラビアン・ナイト」を基にしたガザーイルリー「シェヘラザード」が作成され、近年ではユーセフ・シアヒーン「アディー・ボナパルド」など国際的に評価される作品も登場。イランでも1928年には最初の国産劇映画「アビ・ラッピ」が、31年にはトーキーの「ロール族の娘」が封切られる。映画を産業として確立させたのはイスマイル・クーチャンで、51年「愛の陶酔」の成功により多くの人間が映画に参入。エブラヒム・ゴレスタン「ジェニー谷の秘宝」、アリ・ハーテミ「スーテデラン」、アッバス・キアロスタミ「レポート」など秀作が登場した。パフラビー国王による映画祭開催も多大な力となったが79年のイラン革命の後、厳格な検閲で映画は一時閉塞状態に陥る。現在はキアロスタミの「友だちのうちはどこ?」(1987)、「オリーブの林を抜けて」(1994)が世界的に高い評価を受けている。そしてのジャファール・パナヒなどの若手後継者が育つ。現在イランで作成される映画は年間50本程。しかしイランの映画祭では海外映画に観客の人気が集中するのが現状である。またトルコではイスマエル・メチン「野性のもだえ」が1964年ベルリン映画祭で優勝し80年代中期にはユルマズ・ギュネイが注目された。しかし映画界はアメリカ映画やテレビ、ビデオの攻勢に完全に圧倒されて低迷。そこでトルコ政府は検閲廃止や製作者や輸出に資金の援助を始めた。その成果アーテフ・ユルマズ、ユスフ・クルチェンリなどが海外で評価される。しかし全体的にイスラム圏の文化は経済的貧困と現代イスラムの厳格な戒律もあって低迷。映画においてもインドを中心に海外作品の占める割合が高いのが現状である。また地域によっては娯楽そのものを罪悪として禁止する傾向が強い。現代イスラム世界では民衆が娯楽を楽しむ事すら様々な理由により保証されていない所も少なくないのである。誰もが都市娯楽文化を楽しめる状況に一日も早くなってほしいものだ。
おわりに
 「インド」もだけど薄い週刊朝日百科が一番詳しかった。こんなレジュメで良いんかなぁ…。特に現代が絶望的にデータがなくて何も書けなかった…。


参考文献
イスラーム文化 井筒俊彦 岩波文庫 イスラーム生誕 井筒俊彦 中公文庫
回教概論 大川周明 慶應書房 復興亜細亜の諸問題 大川周明 中公文庫
週間朝日百科世界の文学118コーラン、アラビアン・ナイト… 朝日新聞社
週間朝日百科世界の歴史94 18世紀の世界2居酒屋・旅籠・茶館 朝日新聞社
世界の歴史15 成熟のイスラーム社会 永田雄三/羽田正 中央公論社
世界の映画祭をゆく 草壁久四郎 毎日新聞社 ENCARTA百科事典 Microsoft
サブカルチャー世界遺産 サブカルチャー世界遺産選定委員会編 扶桑社
イスラム教史 嶋田襄平 山川出版社 アラビア文学史 H.A.R.ギブ 井筒豊子訳 人文書院
インド・アラビア・ペルシア集 筑摩書房


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