2002年7月5日(持ち寄り発表:統一テーマ『古代インド』)
ラーマーヤナ


はじめに
 古代インドの二大叙事詩のひとつ『ラーマーヤナ』。この物語はインドと東南アジア全域に浸透してラーマーヤナ文化圏とでも言うべき世界を形成している。それどころかこの物語は中国にも影響を与えたし、そのほか平安時代の日本にも伝播している。『ラーマーヤナ』の、世界における文化的影響はきわめて広く深い。もしインド文化について学ぶのであれば、なによりまずこの物語について知ることが不可欠だろう。今回はこの物語を扱う。
 とまあ今回はかっこつけてみたが、たいしたことはない。本棚眺めて、内容が頭に残っていてレジュメが書けそうなネタが『ラーマーヤナ』しかなかったのである。今回もほんと手抜き。


<『ラーマーヤナ』のあらすじ>
 コーサラ国の第一王子のラーマは、継母の陰謀によって国を追われ森で暮らすことになる。ところが彼に思いを寄せる魔王ラーヴァナの妹を拒絶したことから、ラーマは魔王の怒りを買い、妻のシーターをさらわれてしまう。そこで彼は国を追われていた猿の王を助けるのと引き替えに、猿たちの協力を得る。そして猿の将ハヌマーンの活躍によってシーターの行方を突き止めたラーマは、猿の大軍とともに魔王ラーヴァナの本拠地のランカーを攻め、魔王を討ってシーターを救い出す。だがここでラーマはシーターの貞操を疑って彼女を再び妻に迎えるのを拒絶、シーターは身の潔白を証明するため火の中に身を投げるが、彼女は無傷であり、これこそ彼女の潔白の証であった。こうしてシーターを取り戻したラーマは、コーサラ国に戻り、国を挙げての歓喜の中、王位につく。

<『ラーマーヤナ』の成立>
 伝説では詩聖ヴァールミーキの作とされるが、長きに渡って吟遊詩人が語り継いだ詩であり、ヴァールミーキは伝承の編纂者であると思われる。王位継承をめぐる物語はすでに紀元前2世紀には成立しており、その後魔王や猿の説話を取り込み、後3世紀には今日のようにまとめられた。

<現代インドと『ラーマーヤナ』>
 現代でもインドでは『ラーマーヤナ』が人々の生活に浸透している。たとえば、この物語の主人公ラーマやシーターにちなんだ人名がしばしば見られるし、毎年秋には祭礼で『ラーマーヤナ』の野外劇が演じられる。このほか1987年にインド国営テレビが連続番組『ラーマーヤナ』を半年間放送、その放送がある日曜朝には日常生活が停滞した、ということがあり、これも人々の『ラーマーヤナ』への関心の高さを示しているであろう。

<『ラーマーヤナ』のひろがり>
インド
 インドでは古来よりサンスクリット語による『ラーマーヤナ』の翻案がしばしば見られたが、各地域ごとの言語が形成され始めた10世紀以降は、『ラーマーヤナ』を各地域、各時代ごとの民衆語へと語り直すことが盛んに行われている。なかには南インドのように魔王ラーヴァナを好意的に描く地域もある。

東南アジア
 『ラーマーヤナ』はすでに7世紀にはカンボジアで広まっており、やがては東南アジア全域に浸透していった。人形劇、舞踏劇、影絵芝居、僧侶による朗唱、寺院の彫刻や壁画といった様々な形態で『ラーマーヤナ』が受容されている。

中国  
 『ラーマーヤナ』に登場する猿の将ハヌマーンは様々に神通力を駆使して活躍するが、このハヌマーンが『西遊記』の孫悟空像の源流の一つとされている。10世紀から12、13世紀に東南アジア経由で『ラーマーヤナ』のハヌマーンの活躍する物語が伝わったのではないかと考えられる。

日本
 12世紀末に編纂された『宝物集』の巻五に『ラーマーヤナ』の物語が含まれている。そこでは、ブッダの前世である天竺の大国の王が竜王に后をぬすまれ、猿猴の協力を得て竜宮に攻め入り、后をとりかえし、七宝を奪って凱旋する。


おわりに
 あまり歴史っぽくないなあ。ごめんね。


参考資料
ラーマーヤナの宇宙 伝承と民族造形;金子量重、坂田貞二、鈴木正祟編  春秋社
ラーマーヤナ(上)(下);河田清史著 レグルス文庫
孫悟空はサルかな?;中野美代子著  日本文芸社


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