2002年10月25日(統一テーマ:『室町時代』)
室町時代の社会と経済発展  My


はじめに  今回は室町時代がテーマですが、なかなか何を書くか決まりませんでした。全然本も見つからないし、あまり興味のない時代だし…。で、とりあえずこの時代の経済発展について、いい加減に、やる気なーくまとめることにしました。


<経済発展の概要>
 鎌倉時代中期の13世紀半ば以降、日本では、二毛作・三毛作、灌漑技術の改良、農具・牛馬の普及、肥培技術の進歩、畑作の発達といった農業技術の発展が起こり、農業生産が増加していく。そして生産力の向上を背景に日本社会は大きく変化し始め、商工業が発達、貨幣経済が広まっていく。とりわけ畑作の発達の影響は大きく、副業に畑作物を加工・販売することで農民までもが貨幣経済に深く組み込まれていくことになったのである。
 ところで貨幣経済の浸透によって各地に市が成立していったが、この頃の地方の商工業は農民の副業の段階にとどまっていて、専門の商工業者は成立しておらず、室町時代において市が都市へと育っていくことはなかった。この時代に都市と呼ぶことができたのは京都と奈良だけで、堺や兵庫といった港町ですら京都の外港にすぎなかった。そして高度に発達した産業都市である京都の商人は、圧倒的な資金力と優れた製品、さらに室町幕府の保護によって、全国的な商業・流通を支配しており、地方の商人は各地域内の需要を満たす役割しか果たしていなかった。
 その後、戦国時代となった15世紀のおわり以降は、大きな市が弱小の市を吸収しつつあり、この流れの中で、港湾などの交通の要衝に商工業者が集合して都市が成立していった。戦国大名もこの流れに乗って、城下に商工業者を集合させ城下町を建設した。こうして、地方にも農村と区別された都市が出現し、繁栄することになった。そして戦国大名は、領内の産業を振興するとともに、自国の商人を育てて御用商人とし、京都の商人を排除していった。この施策は地方の経済の独立性を強化するものであったが、その一方で戦国大名は自国特産品の輸出に熱心であったため、同時に全国規模の流通も衰えることなく、より一層活発化していくことになった。


<室町期の経済の特徴>
・座の発達
 座とは、朝廷や幕府、寺社などの権威のもと特権を与えられた営業者の集団で、商工業、運輸、芸能、農漁業とあらゆる職業において編成された。その起源は朝廷や貴族、寺社に対する奉仕者集団である。
 室町時代は座の全盛期であり、座の持つ排他的な営業権によって、商工業は、各地域ごと、製造・流通・販売の各段階ごとの、狭い領域に封じ込められ発展を妨げられていた。後に、広範な商業・流通を育てようとした戦国大名およびそれに続く統一政権によって、座の特権は廃止されることになる。

・徳政の頻発
 室町時代は貨幣経済の発展の初期に当たるので、いまだ貨幣経済への反発がしばしば噴出した。徳政や私徳政により、借金を棒引きにして高利貸しの手に渡った土地をもとの所有者に取り戻させる、ということが頻繁に行われたのである。
 徳政の背後には、神仏の土地は神仏を祭る寺社のもの、領主の土地は領主のもの、百姓の土地は百姓のものというように、土地は身分秩序に基づいて正しい所有者が決められており、この秩序を乱してはならない、という考えが存在した。これは、身分に関係なく土地を購入した者が当然に土地を所有できる、とする貨幣経済の論理とは全く異なる、旧時代の論理である。つまり室町時代は、未だ貨幣経済の論理が社会に完全には浸透しておらず、その結果が徳政の頻発であった。


おわりに
 中途半端なレジュメだ…。概要の部分は統一政権の確立あたりまで続けた方がまとまりがよかったかもしれん…。それからなんとも短いなあ。でも細かな具体例とか出しても退屈で眠いだけだし、しゃあないか。


参考資料
室町時代;脇田晴子著  中公新書
日本の歴史 7〜11;中公文庫
日本法制史;牧英正、藤原明文編  青林書院


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