2002年11月1日
ジョン・ギリンガム『リチャード1世と中世の軍事学』要点メモ  My


中世ヨーロッパの戦略
 中世ヨーロッパの戦争が、個人的な武勇と栄光を行動原理とする騎士の突撃戦で専ら構成されており、戦略を欠いていた、という一般的な見解は誤り。
 中世ヨーロッパでは要塞が発達していた。そのため防御側勢力にとっては、会戦に打って出るよりも、要塞で身を守りつつ敵の補給を妨げるほうが、効果的な戦略であった。
 一方、攻撃側から見ても、会戦はあまり好ましいものではなかった。仮に勝利しても、敵は要塞に拠って抵抗をつづけ戦力を再建できるので、会戦は危険に見合う成果をほとんどの場合もたらさなかった。そのため将帥達は、攻勢作戦においては、周到に補給を計画し、強力な前進基地を築いて補給線を守り、敵拠点を攻略した。
 結果、中世ヨーロッパの戦争は、専ら要塞や補給線、略奪を巡る慎重な消耗戦に終始していた。

戦略家としてのリチャード1世
 リチャード1世は個人的な武勇に優れた人物で、小競り合いや偵察においては、無謀なまでの勇気を見せることもあった。だが将帥としての彼は、慎重な軍事的・行政的配慮のもと、周到に前進基地と補給を準備して戦争を指導し、会戦は可能な限り回避した。彼は慎重で賢明な一流の戦略家であった。


2002年度例会発表一覧に戻る
西洋史に戻る
軍事史に戻る
人物に戻る
翻訳に戻る

inserted by FC2 system