2002年11月8日〜15日
西洋民衆文化史  NF


はじめに
 ある文明圏の大凡の性格を知るためには、その文化について知るのが近道である。中でも人々の大半を占める一般民衆の文化について知る事が出来たならばそれに越した事はなかろう。しかし、一般に言う民衆文化、即ち民俗的文化は地方・地位・職業・性により多様性を持っており統一した性格を定義しにくく、資料が足りないのが現状である。取組みやすく一般性の高い文化となると、「階層・職業・経済力の分化を経て、なお不特定多数に受け入れられる無駄な文化」ということになろう。つまり都市民衆娯楽文化をまず追求の対象とするのが適当ではないかと思う。都市娯楽文化は、民俗文化の進化したものであり支配者文化を吸収したものでありそして現代文化に直接繋がるものでもある。即ちあらゆる文化の交差点に相当するのだ。どの文明圏でも、こうした文化が商業の発展を背景に民衆が実力を付けた時期に起源を持つ点で共通している。この時期は、人々が自身の国家への帰属感や文明内での一体感を抱きその文明を「守るべきもの」として認識するようになった時期、つまり近代の「国民」意識の原点が生まれた時期とも重なる。このように考えてくると、ある文明の特徴をつかむためにも、国民意識の原点を探るためにも、民俗文化の手掛りをつかむためにも、都市民衆娯楽文化の歴史を学ぶ意味は決して小さいものではないのではないか。というわけで今回は日本・中国・インド・イスラムに続いて(イスラム以外の)西洋の都市民衆娯楽文化の歴史を扱う。
前史               古代(〜6世紀頃)
 地中海周辺では、その東方(オリエント)において早くから文明が発達。中でも古くから農耕が発達したエジプトやメソポタミアでは、紀元前3000頃から都市国家が成立し、やがては統一的な強大な王権が完成する。そして紀元前7世紀にはアッシリアが両地域を制圧、更には紀元前6世紀にペルシアが統一した。一方、エーゲ海周辺では少し遅れてクレタ・トロヤなどの小王国が成立、やがて侵入したギリシア人たちによってミケーネ文明、更にはアテネやスパルタなどの都市国家が形成された。ギリシアは東方のペルシアと抗争し、その中で文明としての自己を確立していく。神々にささげる祭りでの演劇や詩がその文化の中心であった。ギリシアは都市国家同士の争いを通じて次第にペルシアに操られるようになりギリシア全体がペルシアに服属するような形勢となっていく。
 ギリシアの北方にマケドニア王国が勃興、アレクサンドロス大王の時代にペルシアを征服しその後継者達によってオリエント地域にギリシア文化が大きく広まった。さて、紀元前8世紀にイタリア半島に起こったローマは、紀元前3世紀にイタリアを統一し地中海を握っていたカルタゴとの戦争をきっかけに全地中海へと伸びていき紀元前1世紀に統一。一方でかつてペルシアの領域であったイラン・メソポタミアをパルティアやササン朝が支配し、ローマと激しい対立を繰り広げた。ローマでは剣闘などの見世物が娯楽の中心で、その見世物は政治的集会としての性格も強く持っていたという。

                 中世(6・7世紀〜13世紀)
 地中海周辺全域を制圧したローマであったが、やがて農業の発達と共に地方豪族が成長、貧しい民衆を吸収して自給自足的な態勢を築く。またローマ政府もゲルマン民族を傭兵として彼らに軍事を委ねるようになったため多くのゲルマン人が移住する様になっていた。こうした状況で、ローマの支配が揺るぐようになったために皇帝たちは専制傾向を強める事で対応しようとしたが、結局その崩壊を防ぐ事はできなかった。やがて大量に移住したゲルマン人に対応できずローマは東西に分裂、東では比較的強力な支配が暫く続くが6世紀にアヴァール人やスラブ人といった異民族の侵入を経て7世紀頃には自給自足的な地方の連合体となっていく。中東地方ではやはり7世紀にイスラムが興り大帝国を築いていく。そして地中海周辺の西部ではゲルマンの諸部族が割拠。こうして中世が幕をあける。これら各地域のうち、中東は「イスラム民衆文化史」で既に述べており東ローマ地域は資料が手に入らなかった。そのため、以下は主に旧西ローマ地域、すなわち西ヨーロッパ中心に述べる。ゲルマンの様々な部族が国を建てて混乱した西ヨーロッパにおいては、聖者伝・百科全書・年代記といったこれまでの文化の伝承が主に行われた。洗練された技巧的な文章で知られるシドニウス・アポリナリス(5世紀)の「歌集」「書翰集」や、ウェルナンティウス・フォルトゥナゥス(6世紀)の頌詩・書翰詩・即興詩、グレゴリウス(6世紀)の「歴史十巻」などである。さて混乱の中からフランク王国が抜け出し8世紀にカロリング朝が優位を築く事で一定の秩序を回復する。カロリング朝の下では聖職者を中心に文化が栄えた。歴史家として知られるパウルス・デイアコアスや詩人として知られる司教テオドルフスらが活躍。アイハルトの「カール大帝伝」も著名である。さて後にカロリング朝が分裂しそれを引き継ぐ形で神聖ローマ帝国やフランス王国などが成立。地方豪族の連合する上に国家は成り立っており、王権は弱体であった。そのため教会勢力も強大な力を持つ領主の一つとして存在し宗教的権威もあって大きな影響を振るい、国王と教会の二重支配のような形になるところが多かった。さて11世紀には農業の発達もあって商業が復興し始め、それに伴って貨幣経済が発達、貿易も再び発達した。都市もこの頃から発達し、アラビア文化が入ってきた影響もあり都市文化が花開くようになる。ソールズベリのジョンの「ポリクラティクス」やマームズベリのウィリアム「国王史」「司教史」が登場した他、キリスト教の教えを歌った詩が多く作られるようになる。この頃からアクセントのリズムに従う詩の形式が完成した。ラヴァルダンのイルドベールや「悲しみの母」で知られるドデイのジャコボネ、「怒りの日」で有名なツェラノのトマスが詩人として著名である。また南フランスのトルバドールは熱烈な愛を歌う詩で知られる。また酒・女・歌といった世俗的な喜びを歌うゴリアルディと呼ばれる放浪詩人もこの頃に登場。彼らの作品は「カルミナ・ブラーナ」や「カンタベリー歌集」、教皇の拝金ぶりを笑い者にした「マルクスの福音書」に纏められている。また11世紀以降にはカール大帝の家臣・ローランの活躍と悲劇を詠った「ローランの歌」やアーサー王伝説に代表されるような武功詩、騎士と貴婦人の恋などを扱った騎士物語も盛んであった。著名な騎士物語にトロアのクレチャン(12世紀半)の「ランスロ」「イヴェイン」「ペルスヴァル」がある。特にドイツではアウエのハルトマン「哀れなハインリヒ」やエッシェンバッハのヴォルフラム「パルジファル」、シュトラースブルクのゴットフリート「トリスタンとイゾルデ」、「ニーベルンゲンの歌」といった著名な作品が多い。
近世前期(14・15世紀 放浪芸人と聖劇の時代)
 14世紀に入ると商業の発達・都市の成長はますます進展し、飢饉による食料不足も手伝い都市に一層人口が集中した。商人が市政に参与し領主から自立した自治都市も登場する様になる。一方で王権も商業発達やそれに伴う地方豪族支配の弱体化を背景にして強化された。また貿易で繁栄したイタリアでは、オスマン帝国に滅ぼされた東ローマから多くの文化人が逃れてきた影響もあって個性的な文化人が次々に現れるようになった。ルネサンスの幕開けである。例えば、ラテン語で書物を書くのが慣例だったこの時代にトスカナ方言で「神曲」を著したダンテ、ペトラルカ、「デカメロン」で知られるボッカチオなど。更に15・16世紀にはアンジェリコやボッティチェリ、ラファエロら画家や、レオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロといった「万能の天才」が現れるなど一層華やかな状況であった。さて都市が栄える中で、放浪芸人(ジェッラーレ)がイタリアを中心に広場などで演芸を演じたり商品を売りつけたりするのが多く見られた。彼らは主に喜劇役者や曲芸師、道化師や楽師、奇術師、吟遊詩人や香具師、歯抜師、拳闘師、剣闘師、怪力自慢といった仕事をこなしたようだ。また神の教えを説く聖職者も聴衆の興味を引くために面白おかしく話すことが多かったと言うから、都市の広場を舞台に民衆を楽しませると言う点では彼らもこうした芸人達と似通った性格を持っていたと言う事ができる。そして教会でも14世紀頃から祭りの日に聖劇を行うようになり、聖史劇・聖人劇・奇跡劇・道徳劇などが職業別協同組合を中心に演じられた。これは教会を中心として神を称える目的で行われるものであったが、観客達は暴虐な王が死神によって地獄へと連れ去られたりキリストが悪魔を打ち破って善良な人々の魂を救う場面に興奮し、あるいは羊飼いやキリストの父ヨセフが滑稽な振舞をしたりするのを笑ったりして楽しんだのである。こうした中からやがて職業役者達が生まれてくる。
近世中期(16世紀 文化の拡散と職業演劇の誕生)
 15・16世紀に入ると、イタリアに留まらず他の地域でも貨幣経済の発達を背景にルネサンスが拡散。ドイツやネーデルラントなど商業が盛んな地域を中心にデューラーやブリューゲルといった画家たちや「ガルガンチュア物語」で知られるフランスのラブレー、「ドン・キホーテ」で時代錯誤な騎士道を風刺したスペインのセルバンテス、数多くの戯曲を書いたイングランドのシェークスピアが登場。また、一般庶民を相手にする芸人達の中でもこの頃変化が見られた。16世紀にイタリアを中心として各地を巡業する職業俳優の劇団が成立。それまでは素人集団が祭りに聖劇を演じていた事や芸人達も雑多な芸の一つとして劇を行っていた事を考えると画期的な出来事である。彼らはコンメディア・デッラルテと呼ばれる仮面劇を行い、召使と主人の滑稽な掛け合いを演じたり学者・軍人を笑い者にしたりした。これまでがキリスト教を背景にした聖劇が中心だったのに対し、人間中心の劇が多くなったのだ。さてそうした中でフラミニオ・スカーラら著明な劇作家やフランチェスコ・アンドレイーニやイザベッラといった名優も登場して益々コンメディア・デッラルテはさかんになった。
近世後期(17・18世紀 オペラの時代)
 この頃になると各国では王権が商業勢力と結びついて安定した専制政権を形成。各国の間では戦乱が絶えなかったが、17世紀前半の三十年戦争以降は激しい戦乱もなく比較的安定した状況となった。分裂したドイツ地方でもオーストリアやプロイセンを中心に専制政権が確立していった。そうした中、経済先進地域であるイタリアで新しい演劇形態が生まれていた。オペラである。16世紀末にヴィンチェンツォ・ガリレイはギリシア悲劇復興を目指し研究を行った。その結果、ペーリ作曲・リヌッチーニ台本「ダフネ」(1597)・「エウリディーチェ」(1600)がメディチ家の保護の下で作られる。これをきっかけにオペラは急速に普及し各地に劇場が作られるようになった。オペラは豪華な舞台・劇場を備えての高級な娯楽ではあったが、庶民も立見席には安く入れ彼らにとっても貴重な娯楽であった。そして歌手の評価も立見席での反応で決まる面があった。そして決め台詞をアリアと呼ばれる歌で歌い上げ、大仕掛けを用いて視覚的な面白さを追求する、その点でもオペラは日本の歌舞伎と類似していると言える。この頃の代表作としては、モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」「オルフェオ」が挙げられよう。歌手の担い手は、カストラートと呼ばれる宦官であった。16世紀末頃から、経済的に困窮した家庭の男子が歌手として家計を助けるためにカストラートの供給源と成っていた。彼らは去勢されたがゆえに高い声を保ち、男性であったがゆえに大きな清涼を出す事ができる理想的な歌手と言えた。中でもファリネッリはその美声がトランペットの音色よりも優れていたと言われている。18世紀にはメタスタージオが現れ、美辞麗句を用いた自然界の擬人化や義理と人情の相克を扱った脚本で人気を得た。この頃、ベネチアでは戦を中心とする歴史物であるオペラ・セリアが中心であったが、その一方でナポリでは女のソプラノ歌手を使って幕間にアルビノーニ「ピンピノーネ」(17世紀末)・D.スカルラッティ「ラ・ディリンディーナ」(18世紀初)といった短い喜劇(インテルメッツォ)が催されていた。これがやがてペルゴレージ「妹に恋した兄」(1732年)、「奥様女中」「音楽の先生」(共に1733年)やA.スカルラッティ「貞節の勝利」(1718年)といった色事などを扱うオペラ・ブッファになっていく。やがてオペラはギリシア神話に恋愛などを挟み込んで即興的な面白さを追及したパロディが多くなっていく。ギリシア神話での有名な話しであるメディアの悲劇を恋愛メロドラマに変えたカヴァッリ「ジャゾーネ」がその代表作と言える。その演劇的な面白さを支えたのはカストラートの歌唱力、そしてもう一つは大仕掛けの大道具であった。大道具はビビエーナ一族が代々作成し、中でも18世紀半のフェルディナント・ビビエーナは四角い盆を使って大道具を移動させたり出し入れしたりという方法を考案しするなど基本的な方式を完成させた事で知られる。19世紀に入るとロッシーニが登場、倫理道徳にとらわれず快楽主義的な作風で破天荒な面白さを追及した作品を多くものした。上演される都市によって同じ話でも結末が違うなど、内容自体は彼にとってもその観客にとっても比較的どうでも良い問題であった事が分かる。「セビリャの理髪師」「シンデレラ」などがその代表作として知られる。ロッシーニはカストラートのために作曲した最後の作曲家であると同時にカストラートを意識せずに作曲した最初の作曲家でもあった。以降は、女性の出演が解禁された事もあって女性歌手が台頭してくるのである。ドニゼッティの悲劇「ランメルモールのルチア」や喜劇「恋の妙薬」、ローマ時代のガリアを舞台にした将軍と女性神官の恋物語であるベッリーニ「ノルマ」もこの頃の有名なイタリア・オペラである。中でも「ルチア」「ノルマ」はこの頃から台頭した女性ソプラノ歌手が重んじられた作品である。一方ドイツでもオペラが同様に発達、18世紀後半にはモーツァルトが登場し、美少年が女装する場面が人気を呼んだ恋がらみの喜劇「フィガロの結婚」や伊達男が悪行の末に地獄に落ちる「ドン・ジョバンニ」、不思議な世界を描いた「魔笛」などドラマに飛んだ作品を多く作った。オペラ以外の文化的事象としては、17世紀に小型物語草子(チャップブック)など挿絵付き廉価本が登場し18世紀には民衆の生活水準の向上と上昇する識字率を背景に、次第に都市商人層から農民へと普及していった事が挙げられる。また近世前期以来の大道芸人が人々の娯楽の大きい面を占めていたことは言うまでもない。
近代前期(18世紀後半〜20世紀初頭 大衆文学の登場)
 王の強力な専制政権の下で商業は益々発展し、それに伴い商業従事者達はより大きな力を求めるようになった。イギリスで起こった産業革命はそうした傾向に拍車をかけた。その中で起こったアメリカ独立革命や18世紀末のフランス革命、それに次ぐナポレオンの活動を契機としてヨーロッパは激しい争いに入った。その中で各国ではブルジョア層が台頭し、また一般の間でも国民意識が燃え上がっていく。
 この頃においても、民衆の娯楽の中心はオペラであった。イタリアのヴェルディは、口ずさみやすく耳に心地よい名文句を含んだオペラを作り広く受け入れられた。前期の代表作でバビロン捕囚にあったユダヤ人の嘆きを描いた「ナブッコ」は、オーストリアなど外国に支配されたり小国に分裂する中で国民意識を育てつつあったイタリア人に愛される。女好きの侯爵に仕える道化師の悲劇「リゴレット」や初めて高級娼婦を物語に扱って衝撃を呼んだ「椿姫」、恋・復讐といったドラマチックな要素を詰め込んだ「イル・トロヴァーレ」、古代エジプトを舞台にした恋愛劇「アイーダ」、スウェーデン王暗殺というスキャンダラスな事件を(検閲によって)時代と場所を変えて扱った「仮面舞踏会」などが代表作として知られる。イタリアが統一に向かい富国強兵策が推進される中で、オペラも高尚化の流れを進む事に成りボーイトの依頼によりヴェルディもシェークスピアを元にした「オテロ」「ファルスタッフ」を作曲した。その一方で、身近な事件を扱い耽美的なヴェリズモ・オペラも登場。マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」や妻の不倫に悩む道化師が不倫劇の舞台上で現実と芝居の区別がつかなくなり実際に妻を殺害してしまうレオンカヴァッロ「道化師」が代表作として知られる。またプッチーニも美しい旋律で美的なドラマを描いている。日本を舞台に女性の悲恋を異国情緒たっぷりに描いた「蝶々夫人」、パリの貧乏芸術家とお針子の恋を扱う「ラ・ボエーム」、情熱的な歌姫の悲劇「トスカ」など悲恋物が多い。又ドイツでは1821年に発表されたウェーバー「魔弾の射手」が人気を呼びベルリン中に丸一日その曲が聞こえる状況だったと言う。この頃最大のオペラ作曲家がワーグナー。「楽劇」といわれるように楽団の占める役割が大きい壮大な作品を多く作った。享楽に堕ちた騎士の魂が清純な乙女の犠牲によって救われる「タンホイザー」(1845)や神を侮辱した罪により海を漂わねばならなくなった男が乙女の愛によって救済される「さまよえるオランダ人」(1843)、不倫の愛を描いた「トリスタンとイゾルデ」(1865)など魂の宗教的救済を描いたりゲルマン神話を題材にして勇壮な物語を描いているように見えながらも実は男女の情を肯定するような作品も多い。中でも有名なのがジークフリート伝説を題材にした「ニーベルングの指輪」(1876)で、これは4夜がかりで上演される大作である。またR.シュトラウスは「サロメ」(1905)で聖書を題材にしながらもヒロインが官能的な踊りを見せ愛する人の首に接吻すると言った退廃的な作品を発表し、1911年には「ばらの騎士」で優雅な貴婦人の歳に勝てぬ悲しさを美しく描きあげた。この作品は多くの人々の共感を呼び、見物用ツアーの臨時列車も企画されたと言う。無論イタリアやドイツ以外にもオペラは作られておりフランスではビゼー「カルメン」(1875)、ロシアではムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」(1874)などが知られている。しかしオーストリアやフランスでは寧ろ甘く親しみやすい恋愛喜劇を描いたオペレッタも多く作られた。特にパリ・オペレッタは即興の笑いや踊りを取り入れた一般人にも親しみやすいものが多かったと言う。J.シュトラウスの「こうもり」(1874)やレハール「メリー・ウィドウ」(1905)などが知られる。またオペラのほかにも人形劇・子供劇・道化劇・笑劇といった大衆劇も人気を博していた。
 また、民衆の生活水準の向上は、彼らに更なる文化的進展をもたらした。イングランドのトマス・クックが19世紀半ばに行楽列車・車中泊を取り入れて安価な団体旅行を人々に提供、経済的余裕の生まれた庶民の間で旅行ブームが生まれた。そしてニューヨークのセントラルパークなどの、自然鑑賞と遊興を目的とした野外空間や海水浴場など娯楽施設ができるのもこの頃からである。また識字率の上昇と人々の情報への欲求を背景にこの頃から「デーリー・テレグラフ」に代表される大衆新聞が登場、スタンプ税が廃止されて新聞価格が下落した事もあって大衆にも手の届くようになった。人々の興味を引くよう扇情的な記事が多く掲載され、中でも殺人事件の報道が人気を読んだ。また識字率の上昇は、一般民衆向けの娯楽文学の登場ももたらした。18世紀頃から主にイギリスで人気のあった恐怖小説には幽霊・地下通路を小道具に用いて雰囲気を盛り上げるものが多く、ホーレス・ウォルギール「オトラント城奇譚」(1764)やクララ・リーブ「美徳の戦士」(1777)、アン・ラドクリフ「ユードルフォ城の城奇」(1794)やマシュー・ルイス「修道士」(1796)、チャールズ・マチューリン「放浪者メルモス」(1820)などがある。19世紀に入ると「オードリー卿夫人」(1862)で知られるローダ・ブラッドンや「イースト・リン」(1861)のシセス・ヘンリーウッド、ウィーダなど女性の不倫・恋愛を扱う小説を書く作家も登場。女性識字率も向上したことを背景に女性の女性による女性のための娯楽文学も登場したのである。また教育水準向上を背景に子供向け文学が登場したのも19世紀であった。不思議な世界を描く中に風刺を込めた「不思議の国のアリス」(1865)「鏡の国のアリス」(1872)で知られるルイス・キャロル(英)は少女達と親しく交わり彼女達に物語を語り聞かす中でこれらの作品を生んだという。同様にして少年達と交わる中で成熟しない少年の物語「ピーター・パン」(1904)をものしたJ.H.バリー(英)も著名である。他、「人魚姫」「マッチ売りの少女」などで不安・絶望を物語に盛り込んだアンデルセン(デンマーク)、「ピノッキオの冒険」(1883)で奔放な子供を描いたコッローディ(伊)、「小公子」「小公女」のバーネット(英)などが知られている。そしてこの頃に始まった急速な技術の発達は人々に未来への希望と不安とを抱かせ、未来の進歩と脅威を描く「SF」と呼ばれる部門も登場。フランスのジュール・ヴェルヌは「五週間の風船旅行」(1863)で未知の世界の探検と空中旅行を描く。未知の世界の探検はヴェルヌ作品の一つの特徴であり、「八十日間の世界一周」(1873)や「十五少年漂流記」(1896)、更に潜水艦で海底生活を送る「海底二万里」や砲弾で月へと向かう「月世界旅行」(1865)「月世界探検」(1870)でも見られる。一方イギリスのH.G.ウェルズは未来への脅威と不安を作品に描き、時間旅行をし退化して弱肉強食化した人類を目の当たりにする「タイム・マシン」(1895)や火星人の侵略を受ける「宇宙戦争」(1898)、「透明人間」(1897)や動物を生体改造して人造人間にした結果として人間のほうが動物より退化しやすいのでないかとの結論に辿り着く「モロー博士の島」(1896)で知られる。彼の作品はSFのパターンを作り上げたと言え、例えば「宇宙戦争」では連載中から既に多くのパロディを生み、金星からきた美女達が流し目により男性を破滅させるレイヴズ&ルーカス「ウィーナス戦争」や発明王エジソンが宇宙船や超兵器を開発しそれにより火星を制圧するサーヴィス「エジソンの火星征服」(共に1898)などが出ている。この頃の他のSF作品として生身の女性に幻滅した友人のためにエジソンが理想の人造美女を作るド・リラダン「未来のイヴ」(1886)がある。また最も人々に好まれたのは恐怖小説から発展した、不可思議な現象や犯罪の謎を解く推理小説であった。これには前述の殺人事件の記事を喜ぶ心情と通じるものを感じる。推理小説の起源は「黒猫」など恐怖小説で知られるエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」(1841)とされる。また初の長編推理小説「月長石」(1865)のコリンズ(英)やガボリオ(仏)がその後に人気を博す。しかし推理小説の人気を決定的なものにしたのはアーサー・コナン・ドイルであろう。ドイルは1891年、「ストランド・マガジン」に「緋色の研究」を発表、そこに登場する名探偵シャーロック・ホームズのキャラクターが人気を博し「四つの署名」「バスカビル家の犬」など多くの作品を表すようになる。この頃から探偵の魅力が推理小説の人気を左右するようになり、アーサー・モリソンの生んだマーティン・ヒューイットやオースティ・フリーマンのソーンダイク博士、オルツィの隅の老人といった名探偵のシリーズが同時期に登場。怪盗アルセーヌ・ルパンを生み出したフランスのモーリス・ルブランも同時期の作家である。ところで賭け事の対象であった拳闘・闘鶏・競馬などは治安を乱すもととなるためしばしば禁止命令を受けていた。しかしそうした中で18世紀頃からルールが整備され、また19世紀に入ると健康な国民を教育する手段としてのスポーツが推奨されるようになる。その結果として民衆の見物する娯楽としてスポーツは有力なものと成った。拳闘(ボクシング)は、1743年にジャック・ブロートンが競技規約を作り、更に幾度かの改正を経て19世紀末にクインズベリー・ルールが成立、素手での試合の禁止など現代の規則の基となっている。当時の人気選手としてはジョン・L・サリバンが挙げられる。また、イギリスでは古来より様々な形式のフットボールが存在したが、1863年に手を使って走って良いラグビーと手の使用を禁止したアソシエーション・フットボール(サッカー)とに分けられた。サッカーはやがて学生のみならず労働者にも普及し、1885年にプロ選手が公認され88年にはプロリーグが創設される。やがてイギリスの商人や船員達によって各国に広まりドイツ・イタリア・オーストリア・アルゼンチン・ウルグアイ・ブラジルが積極的に受け入れ、1904年には国際組織FIFAが設立された。一方、野球も19世紀前半にアメリカのニューヨーク周辺で成立、その起源には諸説があるがイギリスのクリケットが元になったというのが有力である。1845年にアレキサンダー・カートライトが基本的な統一規則を定め次第にアメリカ全土に普及、1869年には最初のプロ野球チームであるシンシナティ・レッドソックスが成立しアマチームを相手に130連勝を記録した。これをきっかけニ各地にプロチームが成立し71年に最初のペナントレースが行われる。1878年にはナショナル・リーグが、1900年にはアメリカン・リーグが成立し1903年にワールドシリーズが行われるなど2リーグ制が幕を開けた。サイ・ヤングやウォルター・ジョンソンら名投手の活躍もあってプロ野球は人気を博し、アメリカの国民的娯楽として定着した。また19世紀半ばから白人芸人が顔を黒く塗り黒人の動作を戯画的に模倣して見せるミンストレル・ショーがアメリカで流行するようになり、トマス・ダートマス・ライスが「ジム・クロウ」(1829)で人気を博すなど流行音楽の代表となった。またフォスターは「おお、スザンナ」(1848)「ケンタッキーのわが家」(1853)など単純な旋律に巧みに歌詞を乗せる事で歌いやすい歌を数多く残し、以降の流行音楽家達に多大な影響を残した。やがてチャールズ・K・ハリス「舞踏会のあとで」(1892)の楽譜が百万部以上売れたのを始めとして楽譜出版は急成長しニューヨークがその中心地となった。
近代後期(20世紀前半 新時代の娯楽)
 産業革命の頃からイギリス・フランスなど有力な国は世界各地に植民地を拡大していたが、19世紀後半になると英仏のような既に広大な植民地を有する国と独露など(後に日本もこの中に入る)のようなこれから植民地を獲得しようとする新興国家との対立が起こるようになった。又この頃から各方面での技術の革新が進み産業や軍事においてもそうした新技術の成果が不可欠と成り、後述するように娯楽文化においてもそれらの新技術が取り入れられる。無論これまでの大衆小説・スポーツも娯楽として健在であった。イギリスでは推理小説がそれまで以上の人気を博しており、名探偵ブラウン神父を登場させたG.K.チェスタートンを始めとして、「樽」(1920)のF.W.クロフツや「赤毛のレドメイン家」(1922)のイーデン・フィルポッツ、「赤い館の秘密」(1922)のA.A.ミルンなど人気作家が続出。その中でも著名なのが1920年に「スタイルズ荘の怪事件」で名探偵エルキュール・ポワロを登場させたアガサ・クリスティである。クリスティは更に「アクロイド殺し」(1922)や「オリエント急行の殺人」(1934)、「そして誰もいなくなった」(1939)などを発表しまたポワロ以外にもミス・マープルらの探偵を登場させ推理作家としての地位を固める。しかし当時としてはエドガー・ウォレスやフィリップ・オッペンハイムといった通俗的な推理作家の方が一般の人気は高かったようだ。アメリカでも1920年代に「僧正殺人事件」「カナリア殺人事件」で知られるヴァン・ダインや、1930年代以降に密室事件を得意としたディクスン・カーなどが登場。更にエラリー・クイーンは知的な作風で全ての手掛りをさらけ出し読者への挑戦を行い、「ローマ帽子の謎」「Yの悲劇」「災厄の町」などで知られる。さてアメリカの大衆文学は、「ブラック・マスク」に代表される質の悪い紙を用いて安価に発売されるパルプマガジンが主流で、そこではエドガー・ライス・バローズ「火星のプリンセス」「類人猿ターザン」やジョンストン・カックレー「快傑ゾロ」に代表される英雄ものや西部劇、「ザ・スパイダー」などSFといった官能的・扇情的な物語が中心となる。また第二次大戦前後には反ナチス・反日色の強い作品も多く登場した。そうした中でアメリカの推理小説はリアリズムを重んじ暴力・性を扱うハードボイルドに傾く。ハメット「赤い収穫」(1929)「マルタの鷹」(1930)に始まりレックス・スタウト「毒蛇」(1934)、「大いなる眠り」(1939)「さらば愛しき女よ」(1940)などで感傷的・禁欲的な探偵フィリップ・マーロウを通じてアメリカの現実を描く社会派レイモンド・チャンドラーが代表的な作家である。さてスポーツも引き続き盛んで、アメリカ大リーグは1919年の八百長事件で社会的信用を一時失墜していたがホームラン王ベーブ・ルースやルー・ゲーリックら人気選手の登場で空前の黄金時代を現出していた。またボクシングでもヘビー級王者ジャック・デンプシーなど人気選手が登場。サッカーでもヨーロッパや南米を中心に1930年にワールドカップがはじめて開催された。ところでアメリカ流行音楽ではアル・ジョンスンやソフィー・タッカーといったニューヨーク製の歌を歌う歌手の巡業が主流となり、中でも黒人音楽に影響されたラグタイムが人気を博す。ジョージョ・ガーシュウィンとアイラ・ガーシュウィン、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタインのように作曲家と作詞家が提携して活動する事が多かった。1920年代以降にはラジオの急速な普及や安価なレコードの登場により流行音楽消費形態は大きく変貌する事になる。その中でフランク・シナトラやビング・クロスビーがアンプによるマイク増幅を利用した耳元で囁くようなクルージング唱法を完成させた。またルイ・アームストロングやベッシー・スミス、ロバート・ジョンソン、カーター・ファミリー、ジミー・ロジャースなど南部の音楽家がレコードにより広く名を知られるようになる。30年代にはジャズが人気を呼び特にフレッチャー・ヘンダーソン率いるベニー・グッドマン楽団のスウィング・ジャズが知られる。一方、フランスでもシャンソンと呼ばれる大衆歌謡が20世紀初頭に完成し、「近代シャンソンの母」と呼ばれ歌詞を芝居の台詞のような豊かさで表現したイベット・ギルベールや貧しい庶民や娼婦や無頼漢の人生を歌ったアリスティード・ブリュアンが知られた。この二人からそれぞれ演劇的な表現と反権威的な雰囲気を受け継ぎ、第二次世界大戦前にはダミアやティノ・ロッシ、シャルル・トレネ、エディット・ピアフ、「愛の言葉を」(1930)で知られるリュシエンヌ・ボワイエといった人気歌手も生み出してシャンソンは世界的な人気を博した。またイタリアでも「オ・ソレ・ミヨ」「帰れソレントへ」「サンタ・ルチア」といった人気歌謡曲・カンツォーネが広く親しまれる。さて、この頃の新技術を用いた娯楽の代表が映画である。少し前から手描きの絵を動かして見せる娯楽があり、1891年にエジソンとその助手を務めたディクソンが覗き眼鏡式のキネトスコープを発明したのを始め様々な人が技術開発に励んだ。1895年、フランスのリュミエール兄弟はキネトスコープと映写機を兼ね一度に多くの人が見られるようにしたシネマトグラフを発明し、パリのグラン・カフェで入場料を取って客を集めた。「リュミエール工場の出口」「ラ・シオタ駅への列車の到着」など日常の動きを撮影した短編や「水をかけられた撤水夫」など客を笑わせる事を意識した映像は人々に強い印象を残した。またフランスのジョルジュ・メリエスは偶然、フィルムの回し方によってトリック撮影が可能である事を発見、それを利用して表現の可能性を広げた。「ロベール・ウーダン劇場の夫人の雲隠れ」といった幻想的作品を発表し、特に1902年「月世界旅行」はトリックをふんだんに用いたSF映画として知られる。これ以降、記録映画より劇映画が主流となる。一度に多くの人が見る事ができ、また何度でも上映できることから演劇より効率が良い娯楽であった。アメリカでは、エドウィン・S・ポーターが1903年に「大列車強盗」を作り、演劇的な伝統にとらわれず複数の場面を交互に用いる事によるストーリーのテンポの良さを生み出した。以降、開拓時代を舞台にした西部劇がアメリカ映画の伝統の一つとなる。アメリカの経済発展を背景に、映画は民衆娯楽として普及し各地に小映画劇場が設立された。19世紀末から多数の移民がアメリカに流入したが、英語を十分に理解できず経済的にも貧しい彼らにとっても映画は貴重な娯楽となったのである。D.W.グリフィスは.クローズアップの多用したり、場面をいくつかのショットに分割し各ショットの時間を調節して雰囲気を盛り上げるなど編集を重んじたりする事で印象的な作品を多く生み出した。KKK団を英雄視した事で問題となった「国民の創生」(1915)や博愛を説いた「イントレランス」(1916)などが代表作として知られる。この頃からメアリー・ピックフィードら人気俳優が登場し、また映画産業の中心は東部アメリカからハリウッドに移りジョン・フォード監督「アイアン・ホース」(1924)に代表される西部劇やドタバタ喜劇、メロドラマが人気を博した。中でもマック・セネットや無邪気な少年を演じたハロルド・ロイド、無表情で動きの敏捷なキャラクターで人気を得たバスター・キートン、チョビ髭に山高帽・古上着・杖という独特の格好が余りに有名なチャーリー・チャップリンが喜劇映画の人気者となる。チャップリンは自ら監督・主演して「チャップリンの浮浪者」(1915)、拝金主義を笑う「黄金狂時代」(1925)、「街の灯」(1931)、産業化に振りまわされる労働者を演じた「モダン・タイムス」、ヒトラーを風刺した「独裁者」(1940)といった優れた作品を多く生み出した。またエーリヒ・フォン・シュトロハイムも「愚なる妻」(1921)「グリード」(1924)など重厚で思弁的な作風で人気を博す。この頃には映画に倫理的な規制を加えようとの風潮が生まれハリウッド製作倫理規定が1930年に制定。そのためセックス・コメディを製作していたセシル・B・デミルは「十誡」(1923)「キング・オブ・キングス」(1927)といった聖書を題材とする作品の中に放蕩や入浴の場面を紛れ込ませたと言う。またエルンスト・ルビッチは「結婚哲学」(1924)「陽気な巴里っ子」(1926)で巧みに性的なテーマをあしらった事で著名だ。この時期はバレンチノ、グレタ・ガルボ、クララ・ボー、ノーア・シアラーなどのスター俳優が主演を務めるようになる。さて当時のヨーロッパでは映画の芸術化が進み、ドイツのロベルト・ウィーネ「カリガリ博士」(1919)やパウル・ウェゲナー「巨人ゴーレム」(1920)といった怪奇映画、フランスのルネ・クレール「イタリアの麦藁帽子」(1927)やガンヌ「ナポレオン」(1927)など個性的・前衛的作品が代表作として挙げられる。ロシアではレーニンが社会主義思想の宣伝のために映画を利用できると考え映画を保護、その中からエイゼンシュタイン「戦艦ポチョムキン」(1925)などが生まれた。こうした作品により映画の表現技法が発達、アメリカを中心とする娯楽映画に大きく反映される事になる。1926年、アメリカのワーナー・ブラザーズ社が初めてトーキーを導入し翌年には初の全編トーキー「ジャズ・シンガー」を発表した。当初は撮影時の音声をそのまま録音し新奇さだけで客を呼んでいたため単調な対話のものが多かったのであるが、マイクを動かせる事で映画に動きを取り戻すなど様々な工夫が加えられ再び映画は劇としての面白さを取り戻す。中でもルビッチやキング・ビダーは音声のない長い場面を撮影し後から音を加えるという手法により効果的に演技を際立たせる事に成功。1930年代には「犯罪王リコ」(1930)や「民衆の敵」(1931)・「暗黒街の顔役」(1932)などに代表されるギャング映画や「四十二番街」(1933)などミュージカル映画が流行、活力にあふれリアルな作品が喜ばれた。またキャサリン・ヘプバーンやクラーク・ゲーブルといったスターを用いた映画作りも盛んで、その中で「嵐が丘」(1939)や「風と共に去りぬ」(1939)、「オズの魔法使い」(1939)など人気小説の映画化が行われた。またコメディ映画でもマルクス兄弟やオリバー・ハーディーなど新しい人気者が次々に登場していたのだ。そして「魔人ドラキュラ」(1931)「フランケンシュタイン」(1931)といった恐怖映画が多く生み出され続編が作られていく。巨大ゴリラがニューヨークで暴れる「キング・コング」(1933)や「透明人間」(1933)もこの頃の作品である。また1935年の「虚栄の市」で初めてカラーフィルムが用いられ、以後カラー映画が急速に普及。さてヨーロッパでは第二次世界大戦勃発により芸術映画作成は急速に衰退。特にドイツではナチス政権成立の後に映画への国家統制が強化されリーフェンシュタール「意志の勝利」(1935)などのプロバガンダ映画が作られる状況の中で多くの映画人が海外に亡命。しかし娯楽映画の作成は依然盛んで「ハロー、ジャニーヌ」(1939)など歌と踊りが売りのレビュー映画やピール「透明人間、街を行く」(1933)などのSF、更に「笑う相続人」(1933)といった喜劇映画や山岳映画など戦後に至るまで愛された作品が生み出されまたソァラ・レアンダーやゼーダーバウムなど息の長い人気を誇る女優が登場したりしている。ナチス時代の中でも人々の純粋な娯楽への欲求は衰える事はなく映画界もそれに対し最善を尽くして応えたと言う事であろう。この頃の映画のもう一つの流れとして記録映画が挙げられる。イギリスのジョン・グリアソン「住宅問題」(1935)「夜間郵便」(1936)やアメリカのペア・ロレンツ「平野を拓く鋤」(1936)「河」(1937、TVAD建設の宣伝目的で作成)は政府の政策宣伝に用いられた。また、この頃映画の一部門として発展したのがアニメである。絵を動かす研究は昔からなされていたが、被写体を動かせながら一コマづつ撮影する事でそれは実現された。スペインのセグンド・デ・チョーゼン「電気仕掛けホテル」(1905)やアメリカのスチュアート・ブラックトン「幽霊ホテル」(1907)、フランスのエミール・コール「自動配達会社」(1910)は一コマ撮で家具を動かす事で作成された初期のアニメ作品である。ブラックトンは一コマ毎に白紙に絵を描く事で「魔法の万年筆」(1909)を作り、コールは絵画を動かした寸劇「ファンタスマゴリー」(1908)シリーズや人形アニメ「まったくかわいいファウスト」(1908)を作成。1909年にはウインザー・マッケイが「恐竜ガーティ」でファンタジー世界を描いた。1913年頃からセルが導入され背景とキャラクターが分けて作成されるようになった。そうして製作が分業化され映画の前座として短編喜劇アニメが多く生まれる。マックス&デイブ・フライシャー兄弟が、道化師が登場して悪戯をする「インク壷の中から」シリーズを登場させたのはその一例である。そうした中からパット・サリヴァン「フェリックス」(1920)などキャラクターが愛される作品も登場。やがて台頭したのがウォルト・ディズニーである。ディズニーは1928年にトーキーアニメ「ウィリーの蒸気船」でミッキーマウスを初登場させ、32年には初のカラーアニメ「花と木」、翌年に「三匹の子豚」を発表。更に37年に長編カラー「白雪姫」、40年に「ピノキオ」「ファンタジア」を発表し、アニメを映画の前座から独立した作品分野に押し上げた。フライシャー兄弟も1933年に「ベティの白雪姫」や「バッタ君町へ行く」(1941)、ホウレンソウを食べると怪力が出る男を主人公にした「ポパイ」シリーズ、「スーパーマン」など人気作を多く生み出した。他にもMGMのハンナ&バーベラ「トム&ジェリー」やワーナー社のバッグス・バニーやダフィ・ダック、コヨーテとロードランナーなど人気作や人気キャラクターが多く登場している。因みに第二次大戦中にはディズニーは空中爆撃の成果を称えた「空軍力による勝利」(1943)のような戦意高揚のための好戦的な作品も多く発表した。ところでそれらの他にも、19世紀末から「ニューヨーク・ワールド」新聞に連載された「ザ・イエロー・キッド」に代表されるように新聞を舞台にコマ漫画が人気を呼ぶようになっている。
現代(20世紀後半〜 )
第二次世界大戦が終了し、アメリカを中心とする資本主義陣営とソビエト連邦を中心とする共産主義陣営に分かれて世界は対立、90年代初頭まで冷戦が継続する。90年代にソビエト連邦が経済破綻などで崩壊しアメリカが唯一の超大国となった。そうした中で西洋の娯楽文化は終始アメリカを中心として展開されたが、基本的には20世紀前半と同様な傾向をたどったと言って良い。例えば推理小説も依然盛んで、クリスティなど従来の作家も活躍を続けていたしフランスのジョルジュ・シムノンがメグレ警部シリーズで人気を呼んでいた。アメリカのハードボイルドでは、「ウィチャリー家の女」(1961)などで物語世界の中に必要以上に入り込まず観察者としての性格が強い探偵リュー・アーチャーを登場させるロス・マクドナルドや、「裁くのは俺だ」(1947)などで自ら犯人を処刑する事も躊躇わないマイク・ハマーを活躍させるスピレーンが登場。スピレーンが反共イデオロギーを打ち出すようになるのも時代の所産と言えよう。また推理小説も多様化し、クラムリー「さらば甘き口づけ」(1975)のような私小説の性格の強い小説や、ジェイムズ・エルロイ「ブラック・ダリア」(1987)やT.ハリス「羊たちの沈黙」(1988)のような人間の狂気・妄執を描く犯罪小説も登場。60年代からはサラ・パレツキーやスー・グラフトン、パトリシア・コーンウェルなど女性作家の活躍も目立つようになっている。スポーツも以前と変わらず発展。アメリカ大リーグでは、1947年にジャッキー・ロビンソンが登用されたのを始めとして人種差別にさらされながらも多くの黒人選手が活躍した。また球団の西への移動や球団数の増加もあって北米大陸全域に大リーグが広がったのを受け、1969年に各リーグが東西地区制をとった。90年代にもマーク・マグワイアやサミー・ソーサ、ボンズといった人気選手が生まれたり海外から大リーグに挑戦する選手が増加したりすることで根強い人気を呼んでいる。また1920年ごろまでヨーロッパやアメリカでカーニバルでショーとして人気を呼んでいたレスリングも、1948年にプロモーター組織NWAが成立し多のをきっかけに多くの組織が生まれプロスポーツとして定着。またバスケットボールは19世紀末に生まれ屋内スポーツとして学生などの間で広まる。20世紀前半に数多くのプロチームが誕生したが確立した組織ができたのは49年にNBAが結成されてからである。ラリー・バードやマジック・ジョンソン、マイケル・ジョーダンといった人気選手の活躍もあってアメリカで最も人気のあるスポーツの一つに成長している。さて戦後になってからアメリカ南部の人々が都市に流入した事やエレクトリック・ギターの登場が流行音楽に新たな変化を与え、これまでの様々な流れを総合してロックンロールが出現。ビル・ヘイリーやファッツ・ドミノ、エルビス・プレスリーといった人気歌手が登場し恋愛や性といった青春期の悩みを歌った曲が売上げを伸ばした。この頃イギリスでジョン・レノンやポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スターらビートルズが登場、「プリーズ・プリーズ・ミー」(1963)「レット・イット・ビー」(1970)といった大ヒットを飛ばし世界的人気を博した。60年代後半から流行音楽はレコード産業の大規模化を背景に多様化、70年代には様々な個性的な人気歌手が育つ。81年には24時間音楽を放映する「ミュージック・テレビジョン」が開局し83年には高い音質で記録するCDが登場、音楽の需要が刺激された。それを受けてマイケル・ジャクソン「スリラー」(1982)が空前の売上を誇る他、ブルース・スプリングスティーンやマドンナらが人気を得ている。話変わって映画は、戦後になるとテレビの普及もあって人気に陰りが見えた。そうした中でも50年代にワイド・スクリーンや3Dを導入するなど技術的な工夫で客を寄せようと努力がなされる。ヨーロッパでは戦後の開放感の中で再び映画作成が盛んと成り、失業者の悲惨な運命を描いたデ・シーカ「自転車泥棒」(1948)に代表されるイタリアの徹底したリアル志向で知られるネオレアリズモや、トリュフォー「大人は判ってくれない」(1959)「突然炎のごとく」(1961)やジャン・リュック・ゴダール「勝手にしやがれ」(1959)など個性的な映画作家が多く登場したフランスのヌーベル・バーグなど大きな成果が上がった。アメリカ映画はそれに大きな影響を受け優れた映画作家達が次々に人気作を生み出す。SF「2001年宇宙の旅」(1968)やホラー「シャイニング」(1980)で知られるキューブリックや「スリーパー」(1973)「ラジオ・デイズ」(1987)など都会風のコメディで人気を博したウッディ・アレン、ウォーターゲート事件を扱う「カンバセーション/盗聴」(1974)やベトナム戦争を描いた「地獄の黙示録」(1979)、「ゴッドファーザー」シリーズで知られるコッポラ、人気テレビシリーズとなった「M★A★S★H」(1970)や壮大な物語で知られる「ナッシュビル」(1975)のロバート・アルトマンらである。イギリスからやってきたヒッチコックも洗練された機智や不気味なものを見事に描き出す手腕に加えて、登場人物から見た主観的なショットと客観的なショットを交互に使い分ける事で緊張感を生み出す手法を用いて「知りすぎていた男」(1956)、「めまい」(1958)、「北北西に進路を取れ」(1959)、「サイコ」(1960)、「鳥」(1963)、「フレンジー」(1972)などを作成し高い評価を受けた。そしてこの頃の人気俳優としては「ローマの休日」(1953)「ティファニーで朝食を」(1961)などで清楚・優雅な魅力で知られるオードリー・ヘップバーンや「陽のあたる場所」(1951)で知られるエリザベル・テーラー、「ナイアガラ」(1953)「七年目の浮気」(1955)などに主演し官能的魅力で人気を得たマリリン・モンロー、「理由なき反抗」「エデンの東」「ジャイアンツ」(いずれも1955)で若者の疎外感と反抗の象徴となり間もなく事故死して伝説となったジェームズ・ディーン、「欲望という名の電車」(1947)で知られるマーロン・ブランドなどが挙げられる。また大手映画会社による支配が強まった関係もあって製作に巨費を投じてスタント・特撮を用いた大作が次々に登場。「タワーリング・インフェルノ」(1974)や漫画を基にした「スーパーマン」(1978)「バットマン」(1989)のシリーズ、テレビシリーズを映画化した「スター・トレック」などである。ジョージ・ルーカスは「スター・ウォーズ」(1977)「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」(1980)「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐」(1983)を撮影・映像加工技術の飛躍的な向上を背景に大ヒットさせた。スピルバーグは人食ザメの恐怖を描く「ジョーズ」(1975)や宇宙人との交流を扱う「未知との遭遇」(1977)「E.T.」(1982)、冒険物「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」(1984)「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」(1989)、CGを用いて迫力満点の恐竜を登場させた「ジェラシック・パーク」(1993)など人々の想像力を喚起するヒット作を数多く発表している。また、アニメにおいてはUPAが平面的キャラクターを用いたグラフィックアニメが生み出したが商業作品としては前衛的過ぎ、「近眼のマグー」シリーズで食いつなぐ状況であった。またヨーロッパではフランスのポール・グリモー「やぶにらみの暴君」(1952)やチェコのトルンカ「贈り物」(1946)「チェコの古代伝説」(1953、人形アニメ)といった芸術アニメが生まれていたが、やはり主流は大戦前に引き続いてディズニーを中心とする商業用長編アニメであった。ディズニーが「101匹わんわん大行進」(1961)など人気作を生み出し続けたほか、ハンナ&バーベラが辛口ギャグアニメ「強妻天国/原始家族」で人気を呼び、イギリスのニック・パークが発明家ウォレスと犬のグルミットの活躍する粘土人形アニメシリーズを1990年代に送り出している。アメリカアニメは世界的な人気作品も多く生み出したが、近年は以前ほどには嗜好の多様化もあってか爆発的な人気を獲得する事が難しくなっているようだ。さて漫画は戦後になってもコマ漫画が人気を得ていたようで、チック・ヤングの「ブロンディ」や犬のスヌーピーで知られるチャールズ・シュルツ「ピーナッツ」といった一話完結型の作品や冒険・怪奇・探偵など続き物が登場している。コンピュータの発達はそれを用いた娯楽も生んだ。1970年代にはテニスゲーム「ポン」が開発され、80年代前半には冒険物ロールプレイングゲーム「ウルティマ」などを始めとしてコンピュータゲーム産業が発達したが、85年ごろには充分な力をつけないうちから財政的冒険をしたこともあってアメリカのゲーム産業は一時壊滅状態となる。その間に任天堂など日本企業が力を伸ばしたり、その後はアメリカやイギリスのゲーム界も活躍したりロシアの「テトリス」が登場したりした。
 現在でも世界の娯楽文化の中心はアメリカであることには変わりない。しかしその中心である映画も以前の人気作の続編や改訂版を出す事が多くなるなど、嘗て程の圧倒的な創造性は見られなくなっているようだ。嗜好の多様化やネタ切れに悩まされているのはここも同じかもしれない。この後どういう展開を見せるか興味のあるところだ。
おわりに
 これで歴史を追う事のできる主要な文化圏については一通りやった事になる。このシリーズはもっぱら文化消費者の視点から、一般人が娯楽として楽しめる文化を追うというという基本姿勢で作成されており文化生産者が何を思い何を伝えようとして作品を生み出したかは敢えて二の次とした。また具体的にどの作品の名を挙げるべきかは私の独断と偏見、あるいはスペースの都合によるものが多く一面的な意見に過ぎないのはいうまでもない。とりあえず完成したが、特に今回は纏まりの無い物に仕上がった気がする。そしてこのシリーズはどれも仮の完成でしかない(地域によって得られるデータの質・量にかなり差があったので、私のレジュメだけを参考に各地域の文化力を単純比較する事は多分できないと思う)。新たな知見を得たり考えが変わったりしたときには改訂したいと思うが、恐らく一生かかっても本当の完結はできないだろう。


参考文献
オペラ鑑賞ガイド 小学館 オペラと歌舞伎 永竹由幸 丸善ライブラリー
パルプマガジン 荒俣宏 平凡社 映画一〇〇年 山田和夫 新日本出版社
週刊朝日百科世界の歴史74 見世物小屋と旅芸人 朝日新聞社
週刊朝日百科世界の歴史94居酒屋・旅篭・茶館 朝日新聞社
週刊朝日百科世界の歴史114旅行社と通信社 朝日新聞社
週刊朝日百科世界の歴史117スポーツと芸術 朝日新聞社
週刊朝日百科世界の歴史129余暇と労働 朝日新聞社
週刊朝日百科世界の文学13コナン・ドイル、スティーブンソンほか 朝日新聞社
週刊朝日百科世界の文学14ルイス・キャロル、アンデルセンほか 朝日新聞社
週刊朝日百科世界の文学46レイモンド・チャンドラー、ダシール・ハメットほか 朝日新聞社
世界の歴史16ルネサンスと地中海 樺山紘一 中央公論社
世界の歴史11ビザンツとスラブ 井上浩一・粟生澤猛夫 中央公論社
大都会の誕生 喜田朗・川北稔著 有斐閣選書
ヨーロッパの民衆文化 ピーター・バーク著 中村賢二郎・谷泰訳 人文書院
新書西洋史B封建制社会 兼岩正夫 講談社現代新書
新書西洋史Cルネサンス 会田雄次 講談社現代新書
新書西洋史D絶対王政の時代 前川貞次郎 講談社現代新書
ナチ娯楽映画の世界 瀬川裕司 平凡社 マイペディア99 日立デジタル平凡社
夢の消費革命 ロザリンド・H・ウィリアムズ著、吉田典子・田村真理訳 工作舎
近代スポーツの誕生 松井良明 講談社現代新書
アニメの世界 おかだえみこ・鈴木伸一・高畑勲・宮崎駿 新潮社
ENCARTA百科事典 Microsoft オタク学入門 岡田斗司夫 新潮OH!文庫
サブカルチャー世界遺産 扶桑社


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