2015年10月9日
エリン年代記  skrhtp


 はじめに
 6世紀から7世紀にかけて、アイルランドの修道院では口承伝承を基にアイルランドの「歴史」を文字にして記す試みが始まった。それらの「歴史書」は12世紀に編纂された写本によって現在に伝わっている。編集者がキリスト教徒であるため、口承伝承は異教的要素を弱められキリスト教的価値観が取り入れられるなどの変化をしている。それでもその内容は前キリスト教的な世界を反映し、かつて信仰された神々の痕跡がはっきりと残っている。
 アイルランドの神話的物語は大きく「神話的物語群」「アルスター物語群」「フィニアン物語群」「王の物語群」の4つに便宜的に分類される。本稿では、「神話的物語群」に属する「アイルランド侵入の書」に記された物語を主に取り上げる。この物語は、アイルランドへ移住してきた人々について時代順に纏めた、「疑似歴史書」とでも呼ぶべきものである。本稿ではかつて「歴史」とされた物語を記しながら、それに関連したアイルランド及びケルトの文化や信仰などを、注釈という形で記していく。

 トゥアハ・デ・ダナン以前
 最初にアイルランドを訪れたのは、ノア[1]の息子ビトの娘セゼール率いるヴァン族だった。彼らはノアの助言で大洪水から逃れるためにアイルランドへとやって来たのだが、結局入植の僅か40日後に洪水によって壊滅してしまう。生き残ったのはセゼールの夫フィンタンだけであった。
 大洪水の312年後、セラとその妻ダルニィ、そして息子パーホロン[2]率いる一族がギリシア[3]からやってきて大規模な入植を始めた。彼らは技術や制度を持ち込み、アイルランドを開拓して国土を豊かにした。更に彼らは、凶暴な異種族であったフォーモール族[4]をアイルランドから北海方面へと追いやった。
 パーホロン族の最期は唐突に訪れた。人口が5000人ほどになった頃、疫病が流行し、パーホロンの弟トゥアンただ1人を除いて全滅してしまったのである。一族が壊滅した後、トゥアンは洞窟に隠れて暮らすようになった。
 22年後、スキタイからネメズ族がアイルランドを訪れた。彼らは1000人以上の大人数でアイルランドへと向かったが、船団が難破して生き延びたのは族長ネメズを含む4人だけであった。彼らは1年漂流した後アイルランドに上陸した。彼らが到来したのを機にトゥアンは鹿に転生した[5]
 ネメズ族はフォーモール族と戦いながら開拓を行った。彼らは12の平原を開墾した。しかしネメズ族もまた、人口が8600人ほどになった時に疫病で壊滅し、ネメズも死んでしまった。生き延びた者たちもフォーモール族に支配され、酷い搾取を受けるようになった。やがてネメズ族は反乱を起こすが、失敗に終わりネメズの子スルタンを含む30人の生き残りはアイルランドから脱出した。
 次にアイルランドにやってきたのは、スルタンの孫セミオン率いるフィル・ボルグ[6]族だった。彼らはアイルランドを5つに分割し共同生活を行った[7]。彼らの王エオヒド・マク・アークは王権政治と貴族社会をアイルランドにもたらした。それから暫くの間、フィル・ボルグ族は平和な時代を享受した。

 トゥアハ・デ・ダナンの到来
 フィル・ボルグ族の入植から37年が経った年にアイルランドを訪れたのが、女神ダヌを祖先神とするトゥアハ・デ・ダナン[8]であった。彼らは4つの都市からの移住者たちであり[9]、各都市の賢者から技術を学んでおり魔法さえ使うことができた。彼らは雲に乗って到来し、雲は3日にわたって空を覆い太陽を隠した。
 王ヌァザ率いるトゥアハ・デ・ダナンはコナハト北西部に降り立って砦を築いた。雲が晴れるとフィル・ボルグ族も彼らの侵入に気付いた。両者は使者を送って会談を行い、トゥアハ・デ・ダナン側の代表ブレスはアイルランドの分割統治を申し出た。フィル・ボルグ族はこの提案を受け入れたが、次第に不満が募り遂にはトゥアハ・デ・ダナンを攻撃した。
 両者はモイ・トゥラで衝突した。はじめヌァザは前線に出ず、戦場の指揮は首長ダグザ[10]に任せていた。しかし3日目には戦況は膠着した。そんな中、ダグザの弟オグマの孫娘モリガンがヌァザの下を訪れた。彼女と関わることで、ヌァザの力と凶暴性が呼び起こされた[11]
 翌日ヌァザは前線に出てその力を見せつけた。エオヒド・マク・アークもまた、ヌァザを危険視して自ら打って出た。戦いは激しいものとなったが、エオヒドが討ち取られたことでトゥアハ・デ・ダナンの勝利に終わった。しかしヌァザはフィル・ボルグ族のスレングとの一騎打ちで腕を切り落とされてしまった。この成果により、フィル・ボルグ族はコナハトを確保することだけはできた。

 ブレスの圧制とフォーモール族の支配
 一騎打ちに敗れて腕を失ったヌァザは、金属加工者クルーニャが作った銀の腕を名医ディアン・ケフトの手で移植されたが、民衆から退位を求められた[12]。ヌァザはこれに応じて隠棲し、代わってエオフ・ブレスが王位に就いた。彼はダグザの娘ブリギッド[13]を妻とし、支配権を固めた。しかしブレスは酷い吝嗇家であった。彼は圧政を強き、ダグザまでも労役を命じられる有様であった。更にブレスは、侵入してきたフォーモール族の要求に屈服した。
 7年後、風刺詩人コールプレが十分な持て成しを行わなかったブレスを揶揄し、民衆に決起を呼びかけた[14]。このときにはヌァザもディアン・ケフトの子ミァハの治療により通常の手を取り戻していた。ブレスは廃位され、ヌァザが復位した。
 王位を追われたブレスは母の下へ向かい、自分の父がフォーモール族であることを聞かされた。そこで彼は父エラッハ・マク・デルバイスの下へ向かった。ブレスは父の仲介でフォーモール族の王バロールの協力を得、フォーモール族と共にアイルランドを襲撃した。トゥアハ・デ・ダナンは強力なバロール軍を追い払うことができず、ヌァザは一族の存続を優先してフォーモール族の支配下に入った。フォーモール族の下で、トゥアハ・デ・ダナンはブレスの時代よりも厳しく搾取されることになった。

 ルーグの登場
 フォーモール族の侵攻の後、ヌァザのいる王宮にルーグがやってきた。彼はディアン・ケフトの子キアンとバロールの娘の間の子である。ルーグは生まれて間もなく、孫に殺されるという予言を受けていたバロールにより兄弟2人[15]と共に海へ投げ捨てられたが、ただ1人一命をとりとめ、同族の下を巡ってあらゆる魔法や技術を学んでいた。
 ルーグはその才能を見せつけ[16]、ヌァザはルーグこそトゥアハ・デ・ダナンの救世主であると悟って自らに代わって王となるよう要請した。ルーグはフォーモール族との決戦の13日間王位に就くことを約束した。ルーグはフォーモール族の徴税官を殺戮して宣戦布告を行い、両者は再び対立関係に入った。
 ルーグ、ヌァザをはじめとするトゥアハ・デ・ダナンの代表者たちは会議を行い、いかにして勝利を得るかを話し合った。まずトゥアハ・デ・ダナンは決戦の準備のため、時間稼ぎを狙ってダグザを親善交渉の使者として派遣した。一方のフォーモール族は、これを利用して強大な力を持つダグザを足止めし、あわよくば抹殺しようと謀略を仕掛けたがこれは失敗した。
 またルーグは、自分の父キアンとその兄弟2人を、協力を求めるために各地の豪族の下に派遣した。しかしキアンは、アルスターへ向かう途中で個人的に対立していたトゥレンの3兄弟に殺された。一方ルーグは、フォーモール族の先遣隊と戦うためコナハトに向かっていた。ルーグはここで勝利を収めたが、帰還すると父が行方不明になっていることを知った。ルーグは急いで捜索に出かけ、探索の末に父の遺体を見つけ更にその犯人をも知った。
 その後王都タラ[17]で行われた戦勝会で、ルーグはヌァザにキアンの死を報告し、復讐の許可を求めた。ヌァザがこれを許すと、ルーグはトゥレンの3兄弟にフォーモール族との戦いに備えるため入手困難な宝物[18]を集めるよう命じた。3兄弟は各国を巡り、宝物を集めた。しかしルーグは彼らの成功を快く思わず、途中で集めた宝物を提出させた上で再び試練を完遂するよう命じた。3兄弟は再び出発し、最後の2つの試練を達成した。彼らは満身創痍で帰還した。トゥレンはタラへ向かい、息子たちの傷を癒すことができる宝物の貸与をルーグに頼んだ。しかしルーグはこれに応じず、トゥレンが息子たちと共に再びやってくると、3人を助けるつもりは全くないと言い放った。これを聞くや否や、3人は息絶えた。

 モイ・トゥラ第二の戦い
 こうしてトゥアハ・デ・ダナンは7年かけて準備を整えた後、フォーモール族に決戦を挑んだ。決戦の前の会議で、トゥアハ・デ・ダナンたちは各々の職能を活かしてフォーモール族を打ち破ることを宣言した。
 両軍はモイ・トゥラで衝突した。トゥアハ・デ・ダナンはヌァザを指揮官として戦いを進めた。暫くすると戦いは激しい消耗戦となった。だが鍛冶師ゴブニュ[19]らが武器を修繕し、ディアン・ケフトは死者をも蘇生させた[20]ため、戦いはトゥアハ・デ・ダナンの優位に進んだ。
 ところが、フォーモール族がスパイを送りこんで後方を攪乱し、更に見るもの全てを薙ぎ倒す眼を持つ[21]バロールが参戦したことで戦況は逆転した。やがてヌァザはバロールに敗れた。また、左翼を指揮していたオグマも、フォーモール族の王の一人インジッヒに敗れて戦線を離脱した。
 後方に控えていたルーグはヌァザが倒れるや否や戦場に飛び出し、祖父でもあるバロールと対峙した。ルーグはバロールの眼光が届かない距離からその眼を投石機で打ち抜いた。ルーグがバロールを打ち破ったことで勝敗が決した。フォーモール族は壊滅し、以降アイルランドに強い影響を及ぼすことはなかった。
 決戦の後、ルーグは捕虜となったブレスを処刑しようとした。しかし結局、耕作の技術を教えること [22]を条件にブレスを解放した。

 ミレシア族の到来
 ルーグはフォーモール族を撃退した後40年間王位にあった。その後トゥアハ・デ・ダナンの首長ダグザの3人の孫がアイルランドを統治していた時代に、スペインで1人の男が高い塔からアイルランドを目にした。イスという名のこの男はこの地に興味を持ち、ブリテン島経由でアイルランドに上陸した。しかしトゥアハ・デ・ダナンは彼を侵入者と見做して殺害してしまった。
 イスの兄弟たちはこれに激怒し、5月1日[23]、ミレシア族[24]を率いてアイルランドに上陸した。彼らはトゥアハ・デ・ダナンたちを打ち破ってタラに向かった。途中、王たちの后であるバンバ、フォドラに出会った。2人はミレシア族の指導者たちに、自分たちの名を地名に残すことを懇願した。その後彼らはもう1人の后エリウと出会う。彼女は2人と同様のことを懇願し、受け入れられると、ミレシア族の繁栄を予言した[25]。ミレシア族の指導者たちは喜んだが、指導者の1人エヴェル・ドウンだけはその言葉を軽視した。するとエリウは、彼にだけは大地の恵みが与えられることはないと予言した。
 ミレシア族はタラまで迫り、トゥアハ・デ・ダナンに降伏を要求した。これに対し3王は3日の猶予期間を求め、ミレシア族もこれを許可して一時的にアイルランドから撤退した。しかしトゥアハ・デ・ダナンはその間にミレシア族の船を暴風雨で沈めようとした。このときドウンの船だけは沈んでしまった。死の間際ドウンは、同族の死者達が自分の家に立ち寄ることを最後の願いとして述べた[26]。他の指導者たちは持ちこたえて嵐が止むと再上陸した。
 交渉は決裂し、両者はティルタウンで衝突した。ミレシア族は強力で、しかもトゥアハ・デ・ダナン側は実力者たちが既に一線を退いていたため、戦いはミレシア族の圧勝に終わった。3人の王は戦死し、トゥアハ・デ・ダナンは地上を追われ、海の彼方や地中の異界[27]へと逃れた。こうしてミレシア族が新たなアイルランドの支配者となり、トゥアハ・デ・ダナンの297年に及ぶアイルランド支配は終わりを告げた。
 地上を追われたトゥアハ・デ・ダナンだったが、その後も地上に影響力を持ち、小麦やミルクを盗んで度々ミレシア族を悩ませた。結局ミレシア族はダグザと話し合い、地下をトゥアハ・デ・ダナンに与えることで和解した。その後、ミレシア族たちはエリウたちの約束通り、アイルランドをエリンと名付けた[28]

 キリスト教の時代へ
 ミレシア族はやがてゲール人と呼ばれるようになった。一方のトゥアハ・デ・ダナンは地上を去った後、新たな体制の下で暮らした。彼らの中には、その後も地上の出来事に積極的に関わる者もいた[29]。トゥアハ・デ・ダナンは様々な姿をとって現れ、やがて妖精として知られるようになっていった。
 それから長い月日が流れた後、アイルランドにキリスト教が伝来した。ある時、修道院長の聖フィネンが、カレルという男の息子の下を訪れた。この息子は自らの名をトゥアンと名乗り、自分は元々パーホロンの弟で、転生を繰り返してこの時代にカレルの息子として生まれたのだと語った。そして聖フィネンに、自らが目にしてきたアイルランドの出来事を物語ったのだった[30]



エリン年代記 地図  図 アイルランド

    注釈
  1. ^ 前述の通りアイルランドの伝承の語り手も編纂者もキリスト教徒であったため、このようにキリスト教の人物や概念が直接的に登場することがある。同様の状況はウェールズの伝承にも見られる。
  2. ^ パーホロンは本来何らかの神格であったようであり、この名前は現代アイルランドにも豊穣に関わる存在として残っている。
  3. ^ アイルランドやウェールズの伝承には、周辺の様々な地域の名が登場する。中には、ローマ皇帝が主人公であるウェールズの伝承『マクセン・ウレティグの夢』のように、別地域の人物を主人公とする伝説も存在する。
  4. ^ 海賊あるいは闇の神々とされる。この名前はケルト語の海を意味する語と関連があるという説があり、本来は海神だった可能性がある。
  5. ^ ケルトの信仰においては、人間と他の動物との厳格な境界が存在しない。超自然的な存在は自他を変身させる力があると考えられ、アイルランドやウェールズの伝説には人間が変身させられた動物や、自在に姿を変える存在が多く存在する。前者の代表例としてはウェールズの伝承『キルッフとオルウェン』に登場する猪トゥルッフ・トゥルウィスが、後者の代表例としては後述のモリガンが挙げられる。
  6. ^ 「皮袋を持つ者」の意。その名の通り、この一族は柳を編み皮で防水加工した船に乗ってやって来たとされる。このタイプの船はコラクルと呼ばれ、アイルランドではよく用いられていた。
  7. ^ ウーリッド(現アルスター)、リーイン(現レンスター)、ムム(現マンスター)、コナハト、ミーズの5つ。アイルランドでは多くの小王国が成立し、それが次第に統合されて前4世紀までにこれら5王国が成立した。この内最小のミーズはレンスターの一部となって現在の4地方が成立した。これらの地方の成立に関する説話は、ウェールズの伝承である『スィールの娘ブランウェン』にも見られる。
  8. ^ 「ダヌの一族」の意。ダヌは本来ヨーロッパで広く信仰された豊穣の女神であったようだが、トゥアハ・デ・ダナンの伝承に直接登場することはない。なお、入植者たちの中で彼らだけは「神々」と呼ばれている。
  9. ^ 初めトゥアハ・デ・ダナンは天からやってきたとされたが、次第にこのように考えられるようになっていった。
  10. ^ この名は「善き者」を意味する。ダグザはアイルランドの祖先神であり、天候や豊穣を司った。この神は生と死の両方を司る棍棒を持っており、そのことから北欧神話のトールなどと祖型を同じくする神であるとも考えられている。
  11. ^ モリガンは戦争を司る女神であり、自らを受け入れる者には勝利を、拒む者には破滅をもたらす女神だった。この女神の性質は後のアーサー王伝説におけるモルガン・ル・フェイにも受け継がれている。アイルランドの著名な軍神は多くが女神であり、それらはまた豊穣の女神でもあった。
  12. ^ ケルトにおいて、王の肉体は領土と同一視された。故に体に欠損を負ったヌァザは王として不十分であるとされたのである。またアイルランドの伝承において、王や英雄たちはゲッシュと呼ばれる魔術的拘束をかけられており、それを破ることは即破局を意味した。このゲッシュが本来何であったのかははっきりしないが、王権に纏わる禁忌のようなものが存在したのだと考えられている。
  13. ^ ブリギッドは火や光と結びつけられる女神であり、その役割は多岐に亙る。そのためブリギッドはアイルランドの女神の総称とも考えられている。この女神の信仰は根強いものだったようで、その属性はキリスト教の聖人である聖ブリギッド(500年頃の人物とされる)の伝承にも反映されている。
  14. ^ 詩人階級はケルトの社会で非常に重要な地位を占めた。ケルトに於いて王たちは、自らを称える者であると同時に自らの名誉を貶めることのできる者でもある詩人たちに敬意を表し、最大限のもてなしをしたという。アイルランドの詩人は「フィリ」「ドルイド」「バルド」の3つに分けられる。フィリは最高の知識階級で、詩を創作するとともに神話や伝説を語った。ドルイドは予言者としての性質を持ったが、キリスト教到来後は力を失い、その役割はフィリに受け継がれた。バルドは本来賛美詩を作る詩人であったが、その役目は次第にフィリに移り、大衆的な物語を語る芸人となっていった。一方フィリは重要性を増していき、キリスト教徒と対立することもあったが、結局17世紀に至るまで高い地位を保ち続けた
  15. ^ ケルトにおいて神はしばしば、1柱の神が3柱の神々で構成されるという形をとった。モリガンの3相であるバイヴ・カハがその代表である。これは繰り返しによる力の強調であるとともに、「3」という数字そのものが魔術的な意味合いを持っていた。ルーグもまたこの形であらわされ、信仰においてこの2人の兄弟はルーグの残り2つの相を構成していた。
  16. ^ ルーグは光の神であり、あらゆる技能に通じた神とされていた。ルーグ及びそれに相当する神格の信仰はヨーロッパ各地に見られ、その名も各地の地名に残っている。例として、「ルーグの砦」を意味するルグドゥヌム(現リヨン)が挙げられる。また、『ガリア戦記』の中でガリアに於いて最も崇拝されている神と記されている「ガリアのメルクリウス」も、このような神格を指したものではないかと考えられている。
  17. ^ ミーズにある地域。アイルランドの諸王はタラの丘で就任式を行ったとされている。タラには新石器時代の古墳をはじめ様々な時代の遺跡があり、2000年以上に亙って聖地として機能していたようである。
  18. ^ 具体的には、ヘスペリデスの林檎、ギリシア王の有する治癒の力を持つ豚の皮、ペルシア王の持つ毒槍、シチリア王の持つ海をも走る戦車、食べても生き返る豚、ノルウェー王の持つ子犬の6点と、女戦士の国にある焼き串。更にルーグはある丘の上で叫ぶことを彼らに求めた。最後の2つはただトゥレンの息子たちに確実に復讐するためのものである。この物語はヘスペリデスの林檎に見られるようにギリシア・ローマなどの影響を強く受けている。また、多数の貴重な存在を集めて回るというモチーフは、『キルッフとオルウェン』にも見られる。この物語は、主人公キルッフが巨人イスバザデンに、娘オルウェンとの結婚の条件として求められた品々を求めて回るというものである。
  19. ^ ゴブニュは建築の神ルフタ、前述のクルーニャと三相一体を成す神である。当時のケルト社会では、鍛冶技術は魔術的に捉えられていた。そのため、ゴブニュは治癒の神としての性質も有している。現実においても、ウェールズでは現代に至るまで鍛冶屋は日常の病に対する治癒力を持つと考えられてきた。
  20. ^ このときディアン・ケフトは治癒の泉を用いている。ケルトに於いて泉は強い聖性を持ったものと見做されていた。キリスト教の時代になってもそれは変わらず、守護聖女たちはしばしば泉と結びつけられた。泉のみならず川や溜池など水のある場所はそれぞれに聖性を持つとされ、ケルトにおいてそれらに関わる神格はボアンやセクアナなど数多い。死者の蘇生については『スィールの娘ブランウェン』にも見られ、こちらでは大釜がその道具となっている。ケルトにおいて大釜は豊穣と再生と水に結び付けられ、青銅器時代後期から葬送儀礼や祝祭で用いられた。大釜は部族神によく見られる持物であり、ダグザも無限の食物を生み出す大釜を所有している。但しディアン・ケフトによる蘇生では泉が大釜と同様の役割を果たしていることから、再生において重要だったのは水なのだろうと考えられている。また、デンマークのグネストルップで発掘された前4〜3世紀のものと見られる大釜の側板に、このような蘇生の場面とも考えられる図像がある。
  21. ^ 光明神ルーグの祖父であることと、この強力な眼光から、バロールは別の民族の太陽神がアイルランド神話に組み込まれたものという説もある。
  22. ^ トゥアハ・デ・ダナンは一年をかけた農耕のサイクルを持っていたが、ブレスは季節ごとに収穫を得る技術を持っていた。この特徴とその生い立ちから、ブレスは本来別の農耕民族の祖先神が取り込まれたものだったという説もある。
  23. ^ この日の前夜には夏の始まりを祝うベルテーン祭が催される。ケルトでは季節は最初夏と冬に2分され、その後春と秋が加えられた。ベルテーン祭と11月1日前夜のサウィン祭はケルトの2代祝祭であった。ベルテーン祭は冬の荒廃からの復活を祈る祭りである。一方サウィン祭は新年祭でもあり、この日には現実界と異界の境界が薄れて霊が現世を訪れるとされた。
  24. ^ ミールの息子たちを意味する。アイルランド人の神話的な祖先とされる。この人々がスペインから来たとされるのは、ラテン語におけるヒベリア(スペイン)とヒベルニア(アイルランド)の呼称における類似に由来するとも、ケルト人の集団がスペインからアイルランドへ移住した可能性を示しているともいわれる。
  25. ^ エリウ、バンバ、フォドラはアイルランドの国土を体現する三相一体の女神たちである。彼女たちの加護を受けることは即ちアイルランドでの支配の正統性を意味する。故に、この場面は3王からミレシア族への支配権の移動を象徴的に示しているといえる。
  26. ^ ドウンは元々ゲール人たちの祖先神だったと考えられている。アイルランド南西にはチェハ・ドウン(現ブル・ロック)という小島があり、ここは死者が冥界へ向かう途中で立ち寄る宿屋とされていた。ドウンは祖先神と死神の両方の性質を持っており、カエサルが『ガリア戦記』の中でディース・パテルと呼んだ冥界を治めるガリアの祖先神たちと関係した神格であると考えられている。
  27. ^ アイルランドにおいて異界は、精霊や死者の住む、時間のない幸福な場所と考えられていた。一方で、異界は恐ろしい死者の国としての性質を持つ場合もあった。アイルランドには『ブランの航海』など多数の異界探訪譚が存在する。アイルランドで異界として考えられた場所として、塚や海の彼方の他に宿屋が挙げられる。前述のドウンの家も、このような宿屋(ブルゼン)の1つである。
  28. ^ バンバ、フォドラの名も、アイルランドの敬称として使われていたようである。
  29. ^ トゥアハ・デ・ダナンの一部は、ミレシア人到来後を舞台とし、クー・ホリンの活躍で知られるアルスター物語群にもたびたび登場する。
  30. ^ 異教世界を生きた人間がキリスト教徒に自身の体験を話すという形式はフィニアン物語群にも見られる。この物語群は3世紀初頭のコ―マック・マク・アート王の時代を舞台にフィン・マク・クウィル率いるフィアナ騎士団の活躍を描いたものである。この物語群の最古の伝承は「古老たちの話」として知られ、フィンの息子オシーン(もしくは甥のキィルタ)がキリスト教伝道者である聖パトリックに語る形になっている。この物語においてオシーンは騎士団の壊滅後に異界で過ごした後に故郷に帰る。しかしそこは数百年の時間が経った世界で、彼は地面に足をつけた瞬間老人になってしまう。その後彼は聖パトリックと出会い、フィアナ騎士団の活躍と自身の体験を彼に語るのである。

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