2018年7月20日
ギリシア第二共和政の成立とパンガロス政権 香宮希


ギリシア第二共和政の成立

第一次世界大戦後、ギリシア王国はスミュルナとその後背地を獲得するべく、小アジアに出兵し、ギリシア・トルコ戦争を起こした。しかし、ムスタファ・ケマル率いるアンカラ政府軍に敗北し、1922年9月にスミュルナがアンカラ政府軍に占領されたことをもって、ギリシア王国軍は小アジアから完全に駆逐された。

ギリシア・トルコ戦争で敗北を重ねる中、ギリシア国内では、過去数度首相を務めたエレフテリオス・ヴェニゼロスを支持するヴェニゼロス派が勢力を伸ばした。1922年9月、ヴェニゼロス派の将校ニコラオス・プラスティラス率いる革命委員会がクーデターを起こし、国王コンスタンディノス1世を退位させた。コンスタンディノス1世の長男ゲオルギオスが新たな国王ゲオルギオス2世になった。また、革命委員会はギリシア・トルコ戦争での責任を口実に政治家、軍人8人をテオドロス・パンガロスが主導する軍事法廷にかけ、6人に銃殺刑の判決を下した。このことは第一次世界大戦中から続いていたヴェニゼロス派と王党派の対立を深めることになった。

プラスティラス率いる革命委員会は1923年を通じてヴェニゼロス派と王党派を和解させて立憲体制を確立させようと試み、1923年12月に選挙を行った。この間1923年10月には王党派の将校イオアンニス・メタクサスが革命委員会に対するクーデターを企てたが失敗に終わり、王党派は選挙を棄権することになった。このため、議会は陸海軍の支持を得た共和派が3分の1ほどの議席を獲得した他はほぼヴェニゼロス派一色に染まった。革命委員会はゲオルギオス2世に対し、議会が政体を決定するまで国外に退去するよう求め、ゲオルギオス2世はこれに従って国外に退去した。そして、海軍提督パヴロス・クンドゥリオスが摂政になった。

1924年1月、革命委員会は議会に権力を移譲し、ヴェニゼロス派の頭目ヴェニゼロスが首相になった。ヴェニゼロスは2か月以内に憲法についての国民投票を行うことを提案したが、アレクサンドロス・パパナスタシウら共和派は直ちに共和政を宣言して事後的に国民投票で承認を得るべきだと反対した。王党派との和解が進まなかったこともあり、国内の動揺を収拾することができなかったため、ヴェニゼロスは1924年2月に1か月足らずで辞職した。その後はパパナスタシウら共和派の首相が続き、1924年3月25日にクンドゥリオスを大統領として共和政を宣言した。共和政は国民投票で3分の2以上の賛成を得て追認された。ギリシア第二共和政の成立である。


パンガロス政権の成立と崩壊

ギリシア第二共和政の成立後も依然として王党派の勢力は強く、共和派に代わって政権に復したヴェニゼロス派もリーダーシップを確立することはできなかった。こうした状況下で、陸軍を率いるパンガロスは海軍の支持も得てクーデターを起こし、首相になって政権を獲得した。パンガロスは議会を解散して新憲法を公表し、この憲法を1926年1月に新たに選出されることになっていた議会に提出して追認を求めることとした。しかし、パンガロスは気変わりし、選挙は無期限に延期され、対立者を追放して絶対的な権力を手にした。

パンガロスは絶対的な権力を手にしたが、その統治はあまりにお粗末なものであった。新聞には検閲が課され、銀行券を半額に減額することで平価を切り下げ、果ては女性のスカートの最短の長さを法令で規定した。また、陸軍がブルガリアに侵攻し、国際連盟の介入によってギリシアは軍の引き上げと賠償金の支払いを余儀なくされた。

パンガロスは1926年4月に新憲法が施行されると発表し、大統領選挙が行われることになった。これに先立ってクンドゥリオス大統領は我慢の限界に達して辞職した。パンガロスに反対する勢力は一致団結して法学者コンスタンディノス・デメルディスを対抗馬として大統領候補にしたが、パンガロスはデメルディスを立候補辞退に追い込んだ。こうしてパンガロスは唯一の候補者として大統領選挙に当選したが、首相を務める人物を探すのに難儀し、アタナシオス・エフタクシアスが首相になったのは1926年7月のことであった。

パンガロス政権はもはや腐った納屋であり、崩壊するのは時間の問題であった。1926年8月、パンガロスの支持基盤であった陸軍が反旗を翻し、将校ゲオルギオス・コンディリスがクーデターを起こした。この結果、パンガロスは大統領の地位を追われ、クンドゥリオスが大統領に復した。また、パンガロスが創設した準軍事組織の共和国警備隊は解散させられ、その指導者たちは終身刑になった。


その後

パンガロス政権の崩壊後、1926年11月に選挙が行われた。結果はヴェニゼロス派も王党派も共和派も多数派を形成することはできなかったため、これらの勢力による超党派政権「世界教会内閣」が誕生した。超党派政権下で各派の和解のための調整が行われ、ギリシア第二共和政は相対的安定を迎えることになった



参考文献

2018年度例会発表一覧に戻る
西洋史に戻る

inserted by FC2 system